〈仏教3.0〉でスッキりする! その3

前回は、藤田一照師・山下良道師による「アップデートする仏教」(幻冬舎新書)をご紹介する2回目として、日本仏教の厳しい現実などについて触れました。その記事はこちらです。

The main hall of Antaiji Temple at Hyōgo Prefecture, Japan (2007) /CC BY SA3.0
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2歳違いの両師はともに在学中、若くして発心(ほっしん)し、兵庫県にある曹洞宗の修行道場・安泰寺で出会い、1983年に出家しています。このお二人と、平凡な会社人生を選択した筆者との間に、同世代という以外の共通点はないのですが、筆者としてはなぜか両師に親近感を覚えることがまことに不思議です。あえて考えてみると、筆者の実家が曹洞宗の檀家であること、また80年代後半に、両師がマサチューセッツ州の坐禅堂に修行の場を移していたのと同じ頃、筆者も米国に赴任中だったという些細な共通項は見つかりました。他に何かあるとすれば、この歳になって、ようやく仏教に向き合いつつある筆者に、出家という生き方をリアルに証明している同世代の二人が眩しく映っている・・・といったところでしょうか。

両師は日本で6年、米国で3年間、共に修行しました。その後、藤田師は17年半という長きにわたって米国にとどまり、禅僧として坐禅指導を続け、2005年に帰国してからは神奈川県の葉山で坐禅会を主宰しながら、曹洞宗国際センター所長という任務に就いています。一方の山下師はイタリアを経て一旦帰国し、さらに思うところあってミャンマーでテーラワーダ仏教の比丘(出家修行者)として研鎖を積んだ後、2006年から鎌倉を拠点に、師独自の「ワンダルマメソッド」を国内外に向け教えています。二人は20代後半で一緒に修行を始め、途中から別々の道を歩み、60代近くになっていよいよ、お互いの辿った道を回顧・検証する機が熟したことを自ずと察知したわけです。本書によって、そうした”因縁”が誰にでも見える形となりました。

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)二人は対談というスタイルを活かし、仏教についてそれぞれ30年間に身をもって体験し、学んできたことを時系列的に振り返り、お互い丁寧に突っ込みをいれながら検証していきます。全体構成や着地点は事前に調整されているとは思いますが、議論はけして急ぐことなく、読者に優しいペースで進められます。加えて、大乗仏教とテーラワーダ仏教といった既知の分類をただ単に深掘りするのでなく、「バージョン」の違う3つの仏教というコンセプトを核心に据え、それらの本質的・原理的な違いをスリリングに暴露していきます。両師による仏教修行の軌跡には目をみはりますが、さらに両師は、わたしたちにもわかるように、その収穫のエッセンスをわずか一冊の新書に(!)言語化してくれました。ひとりの”衆生”として有難い限りです。

本書で、両師が日本仏教のあり方=〈仏教1.0〉について言及している部分を、以下に少々引用させていただきます。わたしたちが日頃薄々感じていたことを、「こういうことじゃないか・・」という感じで直截簡明に語っています。

一照 ・・・どうやら日本の仏教の主流においては、仏教を教える人も学ぶ人もまともに仏教のメッセージを信じていないみたいだね。建前としては信じているようにふるまっているけど、本音のところではまったく信じていない。・・・(第1章より)

一照 ・・・日本の仏教は、一言で言うなら「形骸化した仏教」となるんじゃないか。形骸化というのは、仏教が自分の病気を癒す力を持っている優れた医学であることを本当は信じていない、だからその医学を実際に実行することはしないままに、表面的な形で仏教の言葉や儀式や習慣が社会の中で流通している。こういう仏教のあり方を僕らは「仏教1.0」というくくりで呼ぶことにしたんだよね。
良道 はい、「医療行為が行われていない不思議な病院」という倫えを使いました。それはあまりにも大きな損失を日本社会に与えています。なぜなら「病人」がこれだけ多くて、「治療」を必要としている。それなのに大きな敷地と建物を持った「病院」が、病人たちに治療を与えていないというのは、あまりにももったいなさすぎませんか?・・・(第6章より)

両師は「そこまで言って大丈夫なの」と周囲が心配するほど激しい表現で、〈仏教1.0〉を一刀両断にします。歴史を振り返ってみると、伝統宗教への挑戦という局面では常にラディカルで危険な言葉が飛び交い、時には暴力さえ生じたことを思い出しますが、さすがに現代の日本ではあり得ないことです。とくに両師においては、人品骨柄卑しからずという点はもとより、かれら自身がかつてそこから多くを学んだ1.0の巨大な蓄積を評価し、また1.0には(このあと出てくる)2.0の実践要素が欠落していたにせよ、3.0へとジャンプする(アップデートする)潜在能力があることを認めているからです。現に、藤田師はこれまでと同様、曹洞宗の一禅僧として3.0に取り組んでいく姿勢を明確にしています。

一方の1.0に生きるお坊さんたちとすれば、確かに、自分たちのしていることを否定され、タコツボのような環境に閉じこもっていると言われては辛いかも知れません。しかし、両師が日本を飛び出し、海外の現場で実践してきたようなことも、1.0の向こう側から眺める景色全体も、おそらくこちら側の想像力を超えているだろうということは察しがつくし、二人の言葉が持つ圧倒的なリアリティや迫真性を前にして、受け入れ拒否の態度をとることの方がむしろ難しいでしょう。またかりに、”仏教をアップデートする”ことに対し抵抗を覚えてしまうにしても、まずは、仏教と向き合う”自分たち自身を変える(=アップデートする)”ことは可能だと、少なくともそう理解できるはずです。

実際のところ、2013年秋に「アップデートする仏教」が刊行されて以降、その衝撃や波紋が国内各地に及ぶさまが観察されました。本書を読んだ、あちこちのやる気のあるお坊さんや在家修行者の人たちから、本書の中身を頭だけでなく、もっと心や身体の深いところで感得したい、具体的にはこの二人を直接呼んで話を聞いたり、禅や瞑想の実践指導を受けたいという要望が湧き起こり、ものごとがその通りに進み出し、そして今も着実に進行中であるとのことです。

次回は、両師が米国やミャンマーで目撃・体験した仏教、そしてここ十数年の聞に日本国内にも定着しつつあるテーラワーダ仏教のあり方、すなわち〈仏教2.0〉について触れていきます。

「〈仏教3.0〉でスッキりする! その4」 につづく。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。