「分断社会を終わらせる」には その4

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)をご紹介する2回目でした。その記事はこちらです。

井手氏らは、国民にいま何が必要なのかを考えるところから始め、誰にとっても必要なものを保障する制度設計を、財源論とセットで進めたいと提唱しています。この議論にはレトリックとしての工夫があり、通常は「負担と受益」というところを順序を変え、「(まず)受益、(そのためには)負担」という言い方になっています。セールストークのようなものですが、一定の効果をあげているように思います。ただ、いずれの言い方にせよ、「財源はどうするんだ」という疑問には答えねばなりません。

people-51井手氏らの答はずばり「増税」です。筆者は個人的に、この井手氏らのストレートな考え方に同意します。国民の受益を増やしがら、借金を返していくには、論理的に増税以外の手段は考えられないからです。たとえば、政府・与党の論理は「できれば増税を訴えたいが、それでは選挙に勝てない。そこで経済成長による税収増でまかない、増税は可能な限り先送りする」というものです。国民の大半はたいへん我慢強く見守っていますが、見る立場によっては、すでにこの論理は破綻をきたしており、その証拠は「分断社会」として本書の前半に示されているとおりです。

一方、民主党政権はかつて国民の期待をひどく裏切りました。その反省の上に立つとされる民進党ですが、政策はいまだ代わり映えせず、財政の議論では与党とニュアンス程度の差しかありません。共産党なども受益に賛成、増税には絶対反対という立場でしょうから、本書の主張とは相容れません。このように比較してみますと、井手氏らが、気楽にものごとを言える立場ではあるとしても、与野党いずれにも与せず、論理的に増税を計算に入れたうえで「分断社会」への処方を示していることは画期的です。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)井手氏らは、何が必要かを考え、それを実現するための増税にはみんなに応じてもらう、という正攻法を示しています。政治は「こういう社会になる」ことを示し、議会で具体的に話し合い、増税の必要性を合意し、国民を説得すべきであるとしています。いかがでしょう。本書を読んでみようと思うような皆さんなら当然、同意いただけると思うのですが、問題は、はたして政府・与党がこのような戦略に転換できるかどうかです。筆者自身は、ある程度の期待感を持っています。そうでなければ、このような記事を書くこともないでしょう。

井手氏らは、まず消費税の扱いを再考すべきとします。現在、税率10%への引き上げは決まっていますが、そのうち社会保障への追加充当は貧困対策としての1%のみです。前のほうでも触れたとおり、これでは、またも中間層は負担感のみで、受益感を得られない結果になりますので、もっと社会保障の充実分を増やすよう見直す必要があります。井手氏は、具体的には、初めからの増税分5%のうち半分(2.5%)を使えば、社会は好感をもって受け止めるだろうと試算しています。これが、国民の租税への抵抗を和らげ、国の租税調達力を強化する戦略です。

people-50井手氏らは、当然のことながら、消費税以外の税のあり方も合わせて考えることが必要としています。消費増税は低所得層への負担となりますので、同時に、富裕層への負担が大きい所得税や相続税について課税範囲の拡大を含めて見直しを行ない、また、法人税もセットで見直すことが現実的であるとしています。「だれもが受益者」という社会保障政策は、「だれもが負担者」という幅広の税制と一体で設計し運用する考えです。各論には議論の余地が多々あるものの、理念としては分かりやすいと思います。

すでに見てきたように、本書は、ほかの何よりも「分断社会」を治癒することに主眼を置き、そのための戦略として、「受益と負担」に関する独自の主張を展開しています。そして、その議論が図らずも、「財政再建」というテーマに対しても一石を投じるかたちとなっています。

井手氏は自らの立場について、財政再建を重要と考える点で財務省となんら変わるものではないとしたうえで、歳出削減と行政の効率化という手段のみで再建できないことはこの20年の歴史が証明しており、したがって、正面から増税の議論を行なおうと呼びかけているわけです。財務省には、せっかくの機会ですから、面子にこだわらず真摯に応える度量を見せてほしいものです。また、与野党を問わず、そうしたオープンな議論を積極的に仲立ちしたり、自らも参画する政治家が出てきてほしいと思います。

「だれもが受益者」という政策を進める際に、避けて通れない財源論について触れてきましたが、つぎは経済成長との関連などについてもう少し考えてみたいと思います。

「分断社会を終わらせる」には その5 につづく。

「分断社会を終わらせる」には その5

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)から、財源論を中心にご紹介しました(この本の3回目)。その記事はこちらです。

政府・与党はあらゆる財源を捻出するために、まずは経済を成長させ、その果実(=税収増)を人々に分配するという考え方をずっと基本に置いています。これはどのていど妥当なのでしょうか。国民に示された政府の目論見や試算通りにものごとが進めばいいのですが、今後ますます人口が減っていく事実と、高齢化や災害不安を考えただけでも、厳しい将来を思い描く人々が多いのではないでしょうか。

people-46よく指摘されることですが、国民は将来に不安を抱きつづけており、その不安は少しづつ大きくなっているか、もっと悪いことに、あきらめの感情に置き換わりつつあるような気がします。また、そうした負の心理が生活者から企業経営者にまでいきわたり、経済を委縮させていると思われます。次のオリンピックあたりまでは、政府も国民も必死でがんばるでしょうが、「まずは経済を成長させて」というロジックに全面的に依存するのは、さすがに危うくなってきたと考えるべきでしょう。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)そこで、一方には「もう経済成長は目指さない」といった意見まで出るようになりましたが、そうした考え方もまた極端過ぎて危いといわざるを得ません。マイナスからゼロ近辺の成長では、だれがどのようにコストを負担するにせよ、社会全体の負担能力が減少し、税収が減り、財政が悪化し・・・という負のスパイラルを止めることができなくなります。したがって、一定以上の成長が必要なことは言うまでもないと、井手氏も述べているところです。

そして、持続的な成長のために何が最も重要かという命題に対して、井手氏は多くの識者と同様に、「教育の充実」(とくに無償化と質的向上)を挙げます。教育こそ、成長のための投資にほかならず、最優先課題であると。教育によって質の高い労働者が育ち、納税者となって税収増につながるとともに、貧困化や犯罪などの社会的コストが抑制されます。途中で職を失った人も追加的な教育によって新たな仕事に就けるように、そこを強化します。教育を総合的に保障し、充実させれば、結果として社会と経済の成長につながるという意見です。

Photo by Hyperboreios - University of Helsinki's Main Library: Kaisa-talo (2012) / CC0
Photo by Hyperboreios – University of Helsinki’s Main Library: Kaisa-talo (2012) / CC0

近年、世界的に高水準の成果を生み出してきた「フィンランド式教育」が注目されています。フィンランドは国土から得られる資源が少なく、「人材こそ財産である」と考え、1970年代に教育投資の拡大と質的改革に着手しました。その後、就学前から大学まですべての教育が無償化されています。なんと分かりやすい理念と、そして実行力でしょうか。ひるがえって、いまのわが国の現状を見ると、低所得層はもとより中間層さえ、自力で十分な教育を獲得することが難しくなっています。周知のように、教育ローンなどで苦しんでいる実態もあります。

井手氏は、すべての子どもと若者を「教育無償化」の受益者としていくために、国民的な努力が必要であると訴え、まずは保育園・幼稚園の重要性を主張します。すべての子どもが充実した就学前教育を受けられるようになれば、中長期的には日本経済の成長に、言い換えればあらゆる人々にプラスになると指摘します。ただ、国民全体の関心がまだ低く、子育て終了世代や子どもを持たない人たちが消極的であること、また、保育園等を一時預かり所と誤解する親も多いことなど、課題も多いと述べています。

Helsinki, Finland
Helsinki, Finland

なお、こうした教育投資への財源論としては、増税以外に「建設国債」が利用できるとしています。建設国債はすでに有利子奨学金の財源として利用されてきましたが、そのことを踏まえ、財政法の建設国債の投資対象に「子ども」を加えるだけで可能だと。ただ、国債については、別の観点から、議論の余地が少なくないと思われます。また、上で述べたような政策の一部は、国のほか地方自治体も実行可能ですが、その際には、地方への税源移譲といったテーマも前提として浮上します。

「教育の充実」という成長戦略=成長のための投資は、このように関連テーマも多く、失礼ながら文科省だけでは無理ですから政府全体、および与野党を挙げて取り組んでほしいと思います。中長期的に、たとえばAIや先端医療、エネルギーなどの新分野を育てることは必要ですが、「教育の充実」がそれらすべての基盤であることは確かです。わが国にまだ体力が残っているこの先10年、15年の間に進めていけば、さらにその先の困難な時代に必ずリターンが望めるでしょう。

つぎは、井手氏らの思想・政策が向かう先にあると思われる、日本型福祉の新たなビジョン、ないし到達点(ゴール)のようなものを見つめてみようと思います。

「分断社会を終わらせる」には その6 につづく。

「分断社会を終わらせる」には その6

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)から、「教育の充実」の重要性などについて紹介しました(この本の4回目)。その記事はこちらです。

井手氏らは、社会全体が貧しくなろうとも、みんなが人間らしく生活ができるように、教育や医療、育児・保育、養老・介護などの分野において、誰にとっても必要なものを保障する仕組みをつくり、「だれもが受益者かつ負担者」になる生活保障を制度化すべきと主張します。この部分だけをとると、世界のどの社会民主主義政党が掲げる政策とも、基本的に変わらないように聞こえますが、どこか違うのでしょうか。

Photo by World Economic Forum, Davos 2008 / CC BY SA2.0
Photo by World Economic Forum, Davos 2008 / CC BY SA2.0

筆者の見立てでは、井手氏らの主張は、かつてイギリス労働党のブレア政権(1997-2007年)が提唱した「第3の道(Third Way)」を想起させます。第3の道とは一般に、従来の2つの対立する思想や諸政策の「いいとこどり」をして、対立を超えようとする考え方です。ブレア政権は、伝統的な社会民主主義による結果の平等ではなく、教育の充実などの機会の平等を重視するとともに、サッチャー流の新自由主義的な路線を部分的に組み入れました。これらは欧州諸国の中道左派政権に影響を与え、米国でレーガノミクス後に採られたクリントン政権の路線とも共通点があります。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)ただ、ブレア政権は確かに福祉・教育予算を拡充ましたが、十分に成功したとは評価されていません。格差の是正についても思い描いたような成果を得られず、また、保守党路線を継承した部分で支持母体である労組の離反を招き、最後にはイラク戦争での米国追随が命取りになったことは周知のとおりです。また、北欧など高負担・高福祉の確立した国々は別として、1990年代に誕生した中道左派政権においても概して、その思想・政策が定着するには至りませんでした。

このようにして、2000年代に入ると「第3の道」ないし中道左派は後退し、レーガン、サッチャー以来の新自由主義的な思想・政策がふたたび世界的に抬頭することになり、日本ではご承知のとおり、3次にわたる小泉政権となります。そして、世界金融危機以降の世界的な経済不況、グローバリゼーションによる格差拡大等の問題が深刻化し、当記事のシリーズでとりあげているところの、わが国における現時点の問題、「分断社会」へとつながってくるわけです。

さて、今年の米国大統領選では、民主党のバーニー・サンダース候補が過激とも思える社会主義的政策を提唱し、途中まで驚くべき支持を獲得するありさまを目の当たりにしました。いま「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しく」という状況を世界にもたらした元凶は新自由主義だとの批判があります。そうした不公平の主たる原因が、新自由主義の欠陥によるものかどうかは筆者の理解を超えていますが、世界的に吹き始めた新自由主義への逆風は、社会民主主義的な考え方への追い風を意味します。

people-41ここで、問い掛けのつづきに戻ります。井手氏らの考えが時代の追い風を受けているとしても、かつての「第3の道」のように失敗する可能性はないのでしょうか。また、日本において、時の政府が井手氏らと共にこれを進める場合、「第3の道」とどこが違ってくるのでしょうか。それらの問いに対して、筆者にもはっきり言えることが一つあります。日本は、過去に「第3の道」がたどった歴史的経験を検証し、良かった点やまずかった点などを踏まえ、日本に適用するための修正や取捨選択が可能です。その点が明らかにブレア政権よりは有利といえるでしょう。

ただ、日本には、国民福祉に対するビジョン(専門的には福祉国家論、あるいは福祉レジーム論と呼ばれる概念)について、固有の条件や課題があります。たとえば、日本人は伝統的に「勤労」という精神や社会的価値観を大事にしてきました。また、従来の日本型福祉といわれるものは、「自助・共助・公助の役割分担」といった曖昧なことばで説明されてきました。これらについては本題と少し離れますので、いまは詳述を避けますが、日本型福祉は学術的には、北欧型の「社会民主主義的福祉」と明らかに異なるものであり、米英の「自由主義的福祉」と大陸欧州の「保守主義的福祉」とをミックスした発展途上モデルと言われています。

いずれにせよ、井手氏らは「第3の道」を上手に経由しながら、従来の日本型福祉から最も遠いところにある北欧型の「社会民主主義的福祉」にできるだけ近づきたい、そのようなビジョンを目指していると言えましょう。前々回くらいに、井手氏らの思想・政策が、近代以来の「この国のかたち」を変えていくことを意味すると言ったのは、まさにこのことです。ただし、ここに述べていることは筆者の勝手な見立てであって、井手氏自身が国民の向かうべき到達点(ゴール)として、まだそれほど明確に表現しているわけではありません。

landscape-distant-alpes井手氏らの視点はあくまで足下の、深刻な状態に陥っているいまの分断社会・日本にあるのですが、ちょっと頭を上げて遠くを眺めてみると、はるか先にアルプス山脈のような北欧型の福祉ビジョンが輝いて見える。筆者はそのようなイメージだと思っています。そして日本国民は、北欧型福祉を知識として持っていても、かつて一度も自国のビジョン候補として、また遠景としてさえ、眺めた(認識した)ことがなかった。それゆえに、井手氏らがそれをいま、見せてくれようとしていると思うのです。できるだけ多くの人に、まずはこの景色を共有してもらうことが大切だと思います。

つぎは、当記事シリーズの最後となりそうですが、井手氏らが提唱する政策について今後の進め方などを少し考えてみます。また、国民の気にするモラルハザード的な懸念ほかについて触れます。

「分断社会を終わらせる」には その7 につづく。

「分断社会を終わらせる」には その7

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)をもとに、日本型福祉の新たなビジョンについて考えてみました(この本の5回目)。その記事はこちらです。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)いまにも社会を壊すかも知れない深刻な「分断」を終わらせるには、必要原理に応じて「だれもが受益者」となるように再分配すればよく、それについて国民的合意を形成できれば、増税を含む「だれもが負担者」という財源論を合わせて、制度設計できるようになります。そして、この政策は結果的に(程度は別として)北欧型福祉に近づけることを意味します。また同時に、新自由主義と親和性の強い「小さな政府」から社会民主主義的な「大きな政府」への転換とまで言わぬにせよ、少なくとも日本型の「第3の道」を目指すという意味を持つ、と筆者は考えます。

Stockholm, Sweden
Stockholm, Sweden

ここまではご理解いただけたのではないかと思います。ただ、現時点における井手氏らの立ち位置は、最初に「分断社会」の深刻さを強く訴え、その処方箋の一つを示すところまでの啓蒙段階にあるようです。しかし、日本に残された時間はあまり多くありませんので、なるべくなら次の総選挙に焦点を合わせるくらいのスピードで、国民的議論の沸騰を期待したいと筆者は考えます。井手氏らの掲げる「分断社会を終わらせる」というテーマは、国民にとって、それくらい緊急性と重みのある命題であると言っていいのではないでしょうか。「やるなら今でしょう」と。

ただし、のちに与野党をまたぐ国民的議論に育てていくためには、総選挙で二項対立的な争点化によって「野党の一(いち)主張」というレッテルを貼られないよう、大事にしていただきたいところです。たとえば、当記事シリーズの冒頭で紹介した前原氏にどこまでの計画があったのかは分かりませんが、着眼点はすごく良かったと思いますので、引きつづき、旗振り役を務めていただきたいと思います。野党の専売特許にするべきではなく、あくまでこの政策の実現に向けた与野党協議に発展させてほしいと、そのように感じます。

people-39「分断社会」是正論のオーナーである井手氏らにも、同じことを申し上げたい。皆さんの主張がどれだけ正論であっても、日本の政治風土やここ当分の情勢を見わたすならば、最初のアプローチは左方からでもいいですが、ぜひ日本型の「第3の道」、民主主義的な王道に至る道を目指してほしいと思います。そうしてこそ、「分断」の治癒が可能になると考えるからです。具体的には、与野党双方に向けて発信しつづけること、できれば政党を横断した若手政治家の政策勉強会などを通じて、「分断社会」是正論の浸透をはかってほしいと思います。

さて、すこしちがう話題に移ります。現在、所得制限などにより対象を絞り込んで実施している公的サービスを「だれもが受益者」となるように思いきって拡充していくとなると、「自分は何も努力せずとも、そのようなサービスを享受できる」とかん違いする人は必ず現れます。そうした現象に対して、日本的なモラルハザード(「勤労」などの社会的価値観の棄損)や社会の退嬰を招くのではないかと、懸念を抱く人も多いと思われます。また、かつて破綻した共産主義・社会主義国家などを連想し、社会主義的な思想・政策を体質的に受けつけない人もいるかも知れません。

上記のような懸念や見解を持つ人々のもともとの発想は、ざっくり言うと、日本型福祉における「自助・共助・公助」モデルを使うなら、「公助」はリスクヘッジを含めた社会コストが高くつくので、「自助」(≒自己責任)の比率を最も高く設定しておくのが安全だ、というものです。他方、井手氏らの考え方は、まさにその「自助」への偏重を見直し、「公助」を増やそうとしているわけですから、これは、左右ではじめから綱引きをしているような話、あるいは半永久的に決着を見ない論争かも知れません。

education-01「自助」重視派の人々からは、「公助」には多かれ少なかれ、モラルハザード的リスクが内在するといった指摘が持ち出されますが、それに対し井手氏らは、まさしく「正論」という性格の反論を用意しています。すなわち、ここでも教育が万能の武器となります。前回の記事で、井手氏らは「教育の充実」こそ成長戦略=成長への投資にほかならないとしたわけですが、「教育の充実」によって、社会をモラルハザードに陥らせず、国民のモラルを高めていくこともできます。それこそまさに教育の担うべき課題である、と説明します。

井手氏自身も大学で教鞭をとられていますので、その教育論には普通の文化人よりも説得力が備わっていると感じます。井手氏は、子どもや若者に対する教育の質をいかに高めるかが決定的に重要であり、そのためには、これまで以上に教育機関の改革、新たなカリキュラムや職員の研修プログラムなどが必要になるとしています。また、走りながら、そうした教育改革の成果を記録・検証していくことや、教育を新たな産業、社会の変化に適応させていくことなどの必要性も指摘しています。

井手氏は2016年6月、若い人たち向けに、「18歳からの格差論 18歳からの格差論 – 日本に本当に必要なもの」という冊子もつくっています。筆者も早速手にとってみましたが、井手氏の考え方の基本部分があらかた示されていますので、大人にも面白いと思いました。筆者はとくに、中学生にも理解できそうな、格差是正のロジックが気に入りました。井手氏は高福祉・高負担の北欧諸国では、格差を一番是正していると指摘します。かりにみんなから同率で徴収し、みんなに同額で一律再配分するという単純な方法を実行すると、それによって金持ちにも一部戻りますが、格差は縮小でき、貧しい人はより良く生きていけるという説明になっています。

分断社会ニッポン (朝日新書)また、ご参考までに、2016年9月には佐藤優氏・前原誠司氏とのサロン的な対話形式で、「分断社会ニッポン」(朝日新書)も刊行されています。佐藤氏による独特のつっこみや解釈は定評のあるところですので、お時間に余裕のある方はこちらの本もどうぞ。

井手英策教授の著書を中心に紹介してきました ”「分断社会を終わらせる」には” と題する記事シリーズは、ここでいったん区切りとさせていただきます。

「唯幻論」とはなにか

people-27今回ご紹介する本は、岸田秀氏といまは亡き伊丹十三氏の対談を収めた、「哺育器の中の大人 - 精神分析講義」(ちくま文庫)です。この本の最初は、いまからおよそ40年前、1978年に朝日出版社が “Lecture books”というシリーズの第3巻として刊行したものですが、いま読み返してもなかなか面白いし、知的好奇心を満たしてくれる好著といえます。筆者は、社会人となってまもない頃にこれを読み、「目からウロコ」のような読後感を持ったことを思い出します。

哺育器の中の大人[精神分析講義] (ちくま文庫)「精神分析講義」というサブタイトルが学術的でとりつきにくい印象もありますが、実際は、(当時)新進気鋭の心理学者である岸田秀氏の理論を、才人として知られる伊丹十三氏がわたしたちを代表して聴くという対談形式であるため、非常にわかりやすく読めることが特徴です。岸田氏には「ものぐさ精神分析」という代表的著作がありますが、まずこの対談集である「哺育器の中の大人」で頭を慣らしてから、そちらの本篇にトライいただくのがいいかなと、勝手に思っております。もちろん、その逆でもかまいません。

世の中には「唯物論」と「唯心論」がある、と筆者に教えてくれたのは高校の世界史の先生でした。自分が死んだ後も世界が続くと考えるのが「唯物論」であり、自分が死ねば世界も終わりと考えるのが「唯心論」だと、その先生は言いました。ほかに仏教の「唯識論」があると後から知りました。さて、(筆者自身を含めた多くの読書人が)これでほぼ全部だろうと思っていましたところ、とつぜん岸田氏が「唯幻論」というユニークな理論体系を発表したわけです。誰もが「これは一体なんだ!?」ということになりました。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)本書で聞き役・生徒役をしている伊丹氏の場合は、当時、子育てを通じて、自分とは何か、人生とは、などと深く考えていたところに岸田氏の「唯幻論」に出会いました。「自分の目の前の不透明な膜が弾けとんで、目の眩むような強い光が射しこむのを感じ始めた」(「ものぐさ精神分析」解説より)とのことであり、本書の企画につながったわけです。伊丹氏のほか、すでに多くの著名な方々が解説されている本書を「無条件で読んでいただきたい」のが本音ですが、勇を鼓して、筆者なりに岸田理論をご紹介します。

people-08岸田氏はまず、「人間は本能が壊れた動物である」といいます。動物には自然環境の中で、こういう刺激に対してはこう反応するという本能(=行動規範)が備わっていますが、人間はその本能が大部分壊れており、どうしていいかさっぱりわからないのが本来の状態であると。したがって、そのままで生きていけないので、本能に代わる行動規範が必要になってくる。その行動規範の中心になるのが幻想たる自己=自我であると、岸田氏は説明します。ただし、人間がどのように自我をつくるのか、についてはわかっていません。

人間だけが持つ自我は、人間が生きるのに必要不可欠な行動規範ですが、本質的に不安定であることをごまかすため何らかの支えを求めるようになります。その支えとして、やがて文化や価値体系といったものが発展します。ただ価値体系といっても、実は、これが正しいとか、これに価値があるという究極の根拠はどこにもありません。ありもしない価値体系である。そのありもしないものが、時には神であり、真理であり、正義であったり、世間であったりする。それらはすべて、元々ありもしないのだから「幻想」に過ぎないと、岸田氏は断言します。また、すべてが幻想なのだから、自分の「唯幻論」自体も幻想であると。

tahril-neonatalこのように短く要約してしまうと、頭がクラクラしてくるようです。ですからぜひ、じっくりと本篇をご賞味いただきたいと思うわけです。タイトルにある哺育器とは何のことでしょうか。岸田氏は「人間は本質的に未熟児なわけです。したがって、家庭っていうのが大きな哺育器なんですね、一種の・・・」と述べています。そして、家庭も幻想の一つですから、「人間は幻想という哺育器の中で生きている」ということになります。

岸田氏の著作はこのほかにも多数ありますが、ご本人が「自分が言いたいことは一つしかない」というところの岸田理論の骨子は、本書と「ものぐさ精神分析」をお読みいただければ十分理解できると思います。伊丹氏という絶好の聞き手を得た本対談は、「唯幻論」における幻想ということの意味から、自我の構造の分析を経て、終わりのほうでは日本人の精神構造の分析へと進んでいきます。両氏が工夫をこらした本書をご一読のうえ、皆さん自身がそれぞれに自己分析の糧として活かしていただければ、きっと両氏の希望にかなうことでしょう。