「日本水没」は現実に起こる

日本水没 (朝日新書)書くべき人が書いた ― このような本を待ち望んでいました。「日本水没」(朝日新書; 2016年7月刊)は小説「日本沈没」と似たタイトルですが、まったくジャンルの異なる啓蒙書です。著者の河田惠昭氏は、テレビの災害関連番組などにもよく出ますのでご存知の方も多いと思いますが、政府や自治体の200を超える委員・委員長を歴任してきた防災・減災研究のフロントランナーです。氏が長年研究してこられた結論は、いま「国難災害」が起これば日本は確実に破滅・衰退するということであり、「そのことに最初に気付いた人聞が行動を起こすことが、危機管理の基本である」として日々奮闘されています。本書の上梓で、氏の活動方針も明らかになりました。

安政の大地震絵図

河田氏が最も危惧するのは、都市部を襲う複合型の巨大災害です。わが国の歴史では過去に3度、すなわち(1)869年の貞観地震(東日本)前後、(2)1707年の宝永地震(東海・西日本)前後、そして(3)1854年から3年連続で起こった安政東海・南海地震、安政江戸地震、安政江戸暴風雨・高潮、という3度の巨大複合災害が史料に残されています。とくに、幕末に起こった安政の複合災害は江戸幕府を疲弊させ、明治維新をうながす重要な要因になった・・・と、歴史教科書も見落としがちな点を指摘しています。

東日本大震災以降、楽観的な日本国民の間にも少しずつ災害に備える意識が高まってきましたが、防災・減災専門家は依然としてきわめて不十分との認識にあります。たとえば、近い将来に起こるとされる首都直下地震の被害予想は甚大ですが、最悪ケースでは東京湾の高潮、利根川や荒川の洪水がその前後で発生して複合化します。また、明治から現在まで、巨大災害は天変(風水害)、地変(地震、津波、土砂、噴火災害)ともそれぞれ13回(平均6年に一度)起こっています。それ以前の時代と比較して発生頻度がだんだん高くなってきており、そのため災害が複合化する確率も高まっているのです。

なお、水害・水没、もしくは複合災害が心配な地域は東京だけではありません。歴史的に見ても名古屋市・伊勢湾、大阪市・大阪湾などは大規模な水害・水没の可能性が高く、また地震の際も大きな揺れ、液状化、火災が心配な地域であり、南海トラフ巨大地震などにおける複合災害への拡大がたいへん懸念されます。それらの被害はいずれも、熊本地震の優に10倍から数十倍以上になると本書は指摘します。

自然災害が昔よりも高頻度に発生する、と聞けば不思議に思う方もいらっしゃるでしょう。その点について河田氏は「自然災害は自然現象であるだけではなく、社会現象でもある」と説明しています。「多くの人は、災害は自然現象であると誤解している。地震が起こり、台風が発生し来襲するのは物理現象で、これはハザード(hazard)と呼ばれる。でも、何もない岩だらけの無人島に高波や高湖、津波がやってきても、一般に社会的・経済的被害は発生しない。無人島だから人的被害も発生しない。しかし、それらが私たちの社会を襲うと、必ず被害が発生する。物理現象にとどまらず、被害をもたらすということで、社会現象になるのだ。これはディザスター (dizaster)と定義できる」と。

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)スーパー都市災害から生き残る巨大災害は必ず起こるというだけでなく、ときに複合化し、さらに人口密集のため社会現象として被害が拡大しついに「国難災害」と化す。これこそが巨大複合災害の脅威です。平野や盆地、海岸低地という脆弱地域に人口が集中的に増加したこと、危ないところに人が大勢暮らすようになったことで、現代はむしろ災害に脆くなってきたのです。河田氏は2006年に「スーパー都市災害から生き残る」(新潮社)という著作ですでに警鐘を鳴らしていました。また東日本大震災の前年、2010年12月には「津波災害―減災社会を築く」(岩波新書)を上梓して、その帯で「必ず、来る!」と警告しました。氏の先見性は定評のあるところです。

河田氏がマクロ的視野で「国難災害」を憂えることは本書の通奏低音であり、本文では、タイトルにある通り「日本水没」の詳細な中身を一般読者向けに解説していきます。氏は、現在の防災・減災事業の中心が地震・津波対策に偏り、水害対策が後手に回っているとの問題意識を持っていましたが、そこへ2015年の鬼怒川水害が起こりました。氏は、危惧が的中してしまったことについて忸怩たる思いのなかで、とくに水害・水没にフォーカスした本書を書かれたのだと思います。さらに執筆の最中に、熊本地震が起こりました。

東京湾岸のコンビナート

本書で河田氏は、水害・水没の元凶たる地球温暖化から説き起こし、世界の大都市の例にもれず東京が水没危険性を有すること、広域・集中・ゲリラ豪雨による水害の違い、さらに新たな高潮災害や津波災害について実証データを駆使しながら、随所で第一人者としての知見を展開します。圧巻は第7章であり、うえでご紹介したような巨大複合災害の脅威を具体的に訴え、最後の第8章において、これまでの常識的な「防災」概念を超えた、いますぐにも取り組む必要のある抜本的な「減災」・「縮災」対策をわかりやすく提示しています。

さて次回、今後起こり得る巨大災害がなぜ日本の破滅につながるのか、その脅威に政府・国民はどう対応していくべきかなど、本書のエッセンスをもう少し具体的にご紹介したいと思います。

「日本水没」は現実に起こる その2へつづく。

「日本水没」は現実に起こる その2

前回は、「日本水没」(朝日新書; 2016年7月刊)の著者、河田惠昭氏が危惧する巨大複合災害=「国難災害」の脅威についての1回目でした。その記事はこちらです。

日本水没 (朝日新書)河田氏は、長年にわたって災害研究をしてこられた結論として、政府や国民が今のままであれば、今後起こり得る巨大複合災害が日本の破滅や衰退につながっていくだろうと喝破しています。なぜ、そうなるのでしょうか。ひとことで言えば、巨大災害に襲われたとき、十分に準備していない政府・国民は対応できず(対応に失敗し)、広範な社会インフラが「想像を絶する規模」で被害を受け、その後も中長期的に社会・経済が最悪レベルの後遺症を引きずることになるからです。氏はこれを「被害は頭蓋骨骨折から脳梗塞へ変化」すると表現しています。わが国は二度と立ち上がれないでしょう。

「想像を絶する規模」の打撃に対しては、こちらも「想像を絶する規模」の資源(resources)を投入できるよう事前に準備しなければなりません。その規模のイメージを読者に想像させるため本書では、たとえば、熊本地震における人的被害・支援のデータと、巨大災害で想定されるデータとを対比しています。ここで複合災害の被害は加算されていませんが、この数字を見れば(単独災害としても)いかに規模が大きいかを初めて実感できるでしょう。

熊本地震 首都直下地震 南海トラフ巨大地震
死 者 70人 2万3千人(*) 32万3千人
負傷者 1,742人 36万6千人 62万3千人
避難者 最大約20万人 720万人(*)
避難所 最大約860か所 3万1千か所

注:熊本地震の死者は関連死を含む。

上記で(*)印のついた数字は、政府の中央防災会議で公表されたものですが、河田氏は同会議では被害全体を過小評価していると断言します。たとえば、首都直下地震の死者2万3千人(*)には、正確な評価方法が不明という理由で、ラッシュアワー時の死者を追加算入していない(したがって最悪ケースはこの数値よりはるかに多い)と指摘しています。

たしかに、巨大災害の場合は被害拡大の理由が数多くあり、事前にすべてを予測できないことから結果的に「未曽有の」被害が生じるという特徴をもつ、ということも氏は述べています。熊本地震の場合でも、震度7の揺れが、28時間の間で2回も被災地を襲ったことが被害を拡大させました。この経験から、一定以上の規模の災害では何がどの程度起こるかを予想し、事前対策を行なっておくことは容易でないことが教訓となりました。まして、巨大災害や巨大複合災害となれば、生半可な準備で太刀打ちできるわけはありません。

出典:総務省消防庁・防災48 / CC BY 4.0
http://open.fdma.go.jp/e-college/bosai/higashi/p01_00.html

繰り返しますが、現状のままでは、近い将来に必ず起こるとされている巨大災害に立ち向かえないことは明白なのです。河田氏は、そうした災害では「初動においてさえ各種資源が極端に不足することが見えており、政府に緊急対策本部が、仮にすぐに立ち上がり、首相のリーダーシップが発揮されたとしても、ないものはない、とか運べないものは運べないという状況が当分の問、解消できないだろう」と指摘しています。さらに「起こってから体制を整えるのでは遅すぎるし、仮に体制ができたとしても、失敗することは必定である」とも。

河田氏は政府の委員という立場ですが、「現在、わが国の政財界の指導者の危機感のなさ、楽観主義は目を覆うばかりである」と嘆きを隠していません。氏はまた、政府はこれまで破滅につながりかねないと訴える専門家に耳を貸してこなかった、そのため欧米先進国と比較し、災害が起こることを前提とした取り組みが遅れを生じてきたと断言します。氏の憤慨が痛いほど伝わってきます。たしかに、これだけ災害が多発する国に住んでいながら、わたしたち日本人の多くは楽観主義であり、なんでも他人事とかたずけるのが得意です。災害が多発するゆえに心が萎え「忘れていたい」と現実逃避しているのかも知れません。しかし、政府や自治体がそうした国民の気分に同調していては、国は確実に滅んでしまいます。

Flooding caused by Hurricane Katrina in the New Orleans area (2005)

河田氏は「災害が起こったとき、日頃の準備以上のことはできないという教訓は、万国共通である。その教訓をわが国は生かしていない」として、日米の体制比較を具体的に示します。まず米国では、通常災害に対して消防署員、警察官、州兵らの対応を州知事が一括統御する仕組みになっており、さらに国土安全保障省の連邦緊急事態管理庁(FEMA)が年間予算1兆円、約8干名の職員を擁して日常防災を実行しています。

ひるがえって災害大国日本では、知事に何の権限もなく、自衛隊も動かせません(東京都知事だけは例外的に消防庁・警視庁の形式上のトップですが機能するかどうか)。また国としては、自然災害対応のため内閣官房と内閣府に専任職員約100名、他省庁に関連職員数十名がおり、内閣府特命大臣のトップ(直接部下は僅か)が指揮しますが、米国とは比ぶべくもない、およそ心許ない体制であると氏は指摘しています。

出典:(財)消防防災科学センター
津波と津波火災による市街地被害

巨大災害が都市部を直撃するときには、消防・警察・自衛隊・自治体職員や自主防災組織などがそれぞれの指揮系統下で限界まで活動しますが、日頃訓練してきた以上のパフォーマンスを期待することはできません。「想像を絶する規模」の被災者が、あらゆる地点から救援を求める事態を前に「なすすべがない」という絶望的状況に陥ることは間違いなく、国民は、先の戦争で日本軍の犯した失敗が再び、目の前で繰り返されたとの思いに沈むでしょう。

このように、わが国の巨大災害に対する備え=戦いは、客観的に見て文字通り致命的なレベルに止まっていると言えます。しかし、もちろん怯んだり諦めたりするのは早過ぎます。河田氏はここから積極的に対策を提言していきます。

「日本水没」は現実に起こる その3へつづく。

「日本水没」は現実に起こる その3

前回は、「日本水没」(朝日新書; 2016年7月刊)の著者、河田惠昭氏が危惧する巨大複合災害=「国難災害」の脅威についての2回目でした。その記事はこちらです。

日本水没 (朝日新書)巨大災害が明日起こるかも知れない中で、わが国の備えがいかに心許ないかという現状を見てきました。しかし、政府・国民がその事実を理解できたとしても(理解しないよりマシですが)、短期間で米国並みに資源を準備・投入し、体制を構築することはけして容易ではありません。そこで河田氏は、まず少なくとも「限られた資源をどのように有効に使うかという事前の計画と実行体制」を準備すること、また人員や各種物資の絶対量が不足する状況下では「優先順位をどうするかという対応戦略が必要であり、それを支援する情報の収集や解析、共有化」が必要であると強調します。

それらを進めていくうえで、東日本大震災以降、「『想定外』という言葉を禁句にしなければならないという合意が社会にできてきた。つまり、起こることを前提に、最悪の被災シナリオや過酷事象対策を進めようとするものである」と、研究者・専門家にとってやや追い風も吹いてきました。河田氏は、これが「縮災(ディザスター・リジリエンス;disaster resillience)」であり、従来の「防災」に代え、また「減災」を一歩進めた、わが国にとって必要な新たな概念であると紹介しています。くわしくは本書でぜひご確認いただきたいと思います。

うず高く積まれた援助物資(東日本大震災)出典:(財)消防防災科学センター

中長期的に(といってあまり時間の猶予は許されない状況ですが)、日本を破滅・衰退から救うためには、さらに抜本的な制度設計・改革を実現していかねばなりません。河田氏は、「防災省」を創設して「国難災害」を迎撃しようと提言します。「この国を、災害という氷山に衝突するタイタニツク号にしないために、防災省を創設して滅災・縮災に日常業務として取り組むことが喫緊の課題である。防災庁では駄目だ。財務省や国土交通省と同格でなければならない。わが国は先進国中でもっとも災害のポテンシャルが大きいにもかかわらず、その対応は過去を繰り返さないことに終始している。国難災害で国が廃れてからでは遅い」として、いま国全体が束の間の安心・安全に酔っている場合ではないことを強く訴えます。

日本赤十字社医療救護所(東日本大震災)
出典:(財)消防防災科学センター

河田氏のいう防災省創設、そのための議論と法整備が進めば、「国難災害」を迎え撃つための頼もしい体制づくりの一歩となるでしょう。たとえ暫定でも、組織体制はすぐにも構築・強化していくべきですが、恒久活動とするには基盤となる法整備が必要となります。一つは憲法への非常事態条項の追加、もう一つは災害対策基本法の抜本的改正です。1962年に施行された同基本法について、氏は「災害による被害が発生しない限り、対策はとらないという貧しい時代の法律である。現代には適していない」との認識を示しています。こららが改革の本丸でありハードルとして低くありませんが、「国難」への備えである以上、政府もわたしたち国民も早急に腹をくくらねばならないでしょう。

最後に、国民の意識や防災教育に目を向けておきたいと思います。日本では連日、災害に関するニュースや記事などを目にしますが、多くの人が時折ふと考えるのは「なぜそんな危ない場所に住んでいたのだろう」という疑問です。住居を定めるとき、その地区毎に固有の災害リスクが考慮されていない。これは現代日本の不思議であると筆者は日ごろ感じていました。本書でも「東日本大震災で被災した津波常襲地帯では、津波を知らない、他所から移ってきた住民が被害者の30%を超えていた」といった傾向に注目しています。

河田氏は次のような例もあげます。「2014年の広島市の土砂災害被災地の『八木』という地名は、宅地造成前は『八木蛇落地悪谷(ヤギジャラクジアシダニ)』であった。江戸時代には土石流のことを『蛇抜け(ジャヌケ)』と呼び、同地は50年から60 年ごとに起こる土砂災害の常襲地帯だったのである。常総市の多くの住民は『鬼怒川(鬼が怒るような暴れ川)』や、中心地の『水海道(みつかいどう;水に固まれた土地)』という名称に無関心だったに違いない」と。つまり、いま自分と家族がどこに住んでいるのかを知り、命を守るためには場合によって移住さえ選択肢に加える必要がある、ということではないでしょうか。

また、次のような例もあげています。東京湾岸エリアのような「ゼロメートル地帯では、洪水や高湖、津波などの水害が起これば甚大な被害が出ることが容易に想像できる。そこに住む住民は、驚くほどそのことを知らないことが意識調査やアンケートでわかった。『私はマンションの高層階に住んでいるから関係ない』と考えている住民もいる。しかし、これは全くの誤りである。なぜなら、階数にかかわらず、水害が起こると真っ先に断水するからだ。浄水場やポンプ場は川のそばに立地していることが圧倒的に多い。断水や停電、都市ガス停止、道路が使えないとなれば、マンションそのものが孤立する。そこに誰がどのようにして救援物資を運ぶのだろうか。氾濫災害が起これば、浸水地域全体が孤立しかねない」と。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)歴史学者の磯田道史氏は「天災から日本史を読みなおす – 先人に学ぶ防災」(中公新書)という著作で、史料に残された過去の「災い」の記録をひもとき、そうした災害から命を守る先人の知恵を紹介して評判となりました。また「ブラタモリ」のような番組では、いま住んでいる場所がもともと海や荒れ地だったという地形の話や、歴史的な治水事業の話題などが度々紹介されています。メディアの「(災害を)忘れない」というキャンペーンも継続されています。このように、わたしたちは日ごろ頻繁に、災害に関する情報に接しているのですが、そこから真剣に教訓を学んで危機意識に結びつけることが、あまりにもできていないようです。

壊滅した南三陸町役場
出典:(財)消防防災科学センター

中学や高校では日清・日露や太平洋戦争を学びますが、自然災害についてはどうでしょう。関東大震災に少し触れる程度で、たとえば20世紀中における日本の自然災害犠牲者は米国の9倍もあり(本書)、日本が災害大国であること、災害は国家・国民的な脅威であることがあまり教えられていません。東北の一部学校で行なわれていた防災特別授業が子どもたちや地区住民を救ったという話題はありましたが、残念ながら例外的な取り組みだったわけです。しかし、いまからでもけして遅くありません。わたしたち大人は、防災・減災教育の本格的な導入に向けてもっと努力すべきではないでしょうか。

人間にはどうしても「自分だけは大丈夫」と期待する本能があります。頭のどこかで災害について考えても、「ほかの人たちも住んでいるし・・・」とか、「何十年も起こっていないから大丈夫」とか、ついそのように楽観に流れてしまいます。心理学では「認知不協和」と呼ぶそうですが、ある程度災害の知識や懸念があっても、心の安らぎを得ようとして、自らに都合のよい解釈でそうした理性的部分を覆い隠してしまうようです。だからこそ、子どもたち・大人を含めて、防災・減災教育の見直しや徹底が必要なのです。

戦争よりはるかに確率の高い「国難災害」が迫っています。政府・国会議員の覚醒がもっとも重要ですが、できるだけ多くのみなさんがここでご紹介したような正しい情報に接し、他人事でなく自分の事として、それぞれに備えていただきたいと願ってやみません。

この記事シリーズは、ここでひと区切りとします。

「おおきな木」の見事な曖昧さ

今回は、アメリカで1964年に出版され、50年以上も世界各国でロングセラーを続けている絵本の名作、「おおきな木」(The Giving Tree) をご紹介したいと思います。著者はシカゴ生まれのシェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein, 1930-1999)という人です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、シルヴァスタインは絵本作家としてのみならず、多方面で非凡な才能を発揮しました。

おおきな木

たとえば、1970年にグラミー賞をとったジョニー・キャッシュのヒット曲「スーという名前の少年(A Boy Named Sue)」の作詞を手掛けています。また1984年には、かれ自身が朗読し、歌って叫んだ(recited, sung and shouted)詩集アルバム、「歩道の終るところ (Where the Sidewalk Ends)」でもグラミー賞(ベスト・チルドレン・アルバム)をとりました。なお、同詩集は倉橋由美子さんの美しい訳により、単行本としても出版されています。

At San Quentin [12 inch Analog]Where the Sidewalk Ends歩道の終るところ

 

「おおきな木」は、日本では1976年に本田錦一郎氏が訳出しましたが事情があって絶版となり、その後2010年に読者の要望に応えるかたちで、あすなろ書房から村上春樹氏による新訳版が出版されました。まだ旧訳版(本田訳)も図書館などにはありますので、両者を読み比べてみるのも面白いと思います。原題(The Giving Tree)を「おおきな木」と訳すことはそのまま継承されましたが、本文の訳出においては、この二人の個性がそれぞれ際立っているからです。

考えてみると、絵本の翻訳は簡単そうに見え、これほど難しい仕事もないように思えます。原文は一般に、子ども向けに短くやさしいことばで書かれ、音感やリズム感が意識されており、ときには韻が踏まれています。原文の特徴や味わいを尊重しながら、本来の意図を汲みとって意訳を行ないますが、けして過ぎることのないように慎重な作業が求められます。そこに正解はなく(あるいはいくつもの正解があり)、翻訳者としての技や苦心の違いが結果に表れることは当然といえるでしょう。

翻訳というアウトプットの出来映えについて、読者はときに疑問を抱くこともありますが、それ以上に、ある種の個性を感じさせる「名訳」に出会う喜びを期待しています。そのような意味で「おおきな木」という絵本は、まず原文で読み、かつ本田訳と村上訳という二つの名訳を楽しむことのできる「一粒で3度おいしい」作品といえるのではないでしょうか。また、世の中には翻訳させずに埋もれてしまう名作もおそらくあることを思えば、複数のそれぞれ一流の翻訳を持てた本作は「幸せな作品」であり、ぜひ手にとって楽しんでいただきたいと思います。

ここでお二人の異なる訳例をひとつだけご紹介しおきますと、たとえば、主人公ははじめ少年として登場し、やがて大人に成長していくのですが、原文では一貫して「the boy」と呼ばれています。本田訳では、この少年を「ちびっこ」、「そのこ」、「おとこ」、「よぼよぼの そのおとこ」というふうに表現を変えて(意訳して)いきますが、一方の村上訳では、少年は老人になっても「少年」と原文を忠実に訳しています。どちらをより支持するかは、みなさんしだいです。

さて、ではそろそろ物語の概要をご紹介しましょう。本作の原題(The Giving Tree)を直訳すれば「与える木」です。この擬人化された一本の「与える木」と一人の「少年」が主人公であり、同時に登場者のすべてということになります。両者の生涯にわたる長い交流が、絵本という限られたスペースに凝縮され、淡々と描かれていきます。

はじめ、木と少年は互いに大好きな友だちであり、いつも楽しく遊んでいました。しかし、時が経ち、成長した少年は木を一人ぼっちにして、何か欲しいものがあるときだけ戻ってくるようになります。少年がお金が欲しいと言うと、木は「私の果実を売りなさい」と言って果実を与え、次に少年が家を望むと枝を与え、ボートを望むと幹を与えてしまいます。さらに時が経ち、老いて帰って来た少年が休む場所を望むと、木は、ついに切り株となってしまった自分に腰かけるよう勧めます。木は生涯を通してすべてを少年に与え続け(別の見方では失い続け)、それでいつも幸せ(happy)であった、というあらすじです。

本作は何ごとかを諭す意図をもった「寓話(allegory)」のようにも見えますが、その寓意は何かと考えてみても、はっきりと指摘することが難しい作品です。つまり、言わんとすることがきわめて巧妙に、曖昧にぼかされているため、読み手によってさまざまな読み方や解釈が成り立つようにできているのです。本作最大の特徴は、この見事な曖昧さにあるのではないでしょうか。一般に童話や絵本が広く売られ、読まれるためには内容の曖昧さを敬遠する考え方もありますが、本作の場合、むしろその曖昧さがさいわいして広範な読者を獲得し、いい意味で出版業界の常識を裏切ってきたのではないかと思われます。

さまざまな読み方や解釈とは、たとえば次のようなことです。この物語の主人公(木と少年)ははたして幸せなのか、そうではないのか? 作者は見返りを求めない愛や犠牲を讃えているのか、それに甘える少年を咎めたいのか? この木は母親を意味しているのか、神、自然あるいは他の何ものか、あるいはそれらをすべてひっくるめているのだろうか? 神とすればこれほど寛容であろうか、もっと厳しいのではないだろうか? この少年は典型的な子どもなのか、だめな人間なのか、それとも人間全体がこうだと言いたいのか?

「おおきな木」の見事な曖昧さ その2へつづく。

「おおきな木」の見事な曖昧さ その2

前回より、シェル・シルヴァスタインの絵本の名作「おおきな木」(あすなろ書房)をご紹介しています。前回の記事はこちらです。

「おおきな木」の作者シルヴァスタインはニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューのインタビューに対し「これはただ与える者ともらう者という二人の関係である」と述べているそうです。かれの態度には納得がいきます。幅広い解釈のどれかに肩入れすることで、わざわざ読者各層の豊かな想像を壊すようなまねは不必要ですから。かれは子どもたちに(また大人に対しても)現実の世の中にある厳しい部分をとりつくろったり、一方的に道徳的価値観を押し付けたりすることは避け、あるがままの世界について語ろうと努めたのでしょう。

こうしたシルヴァスタインの創作姿勢によって、「おおきな木」という曖昧な物語が生まれました。かれは、現実にはたいてい幸せや悲しみが入り混じっていること、まるっきりいい人や悪い人などと決めつけてはいけないこと、また、世界はこの物語のように曖昧にできていることを、子どもたちにじっくり考えさせようとしています。おかげで子どもたちは、物語をこころの道具として使うことを通して、ゆとりを持って自分自身の考えを練り上げることができるようになり、また、大人も自分の固定観念から引き戻され、子どもたちの視点でもういちど世界を見直すことになるのです。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)「100万回生きたねこ」の記事の中でも書かせていただきましたが、絵本からメッセージや教訓を読みとるくせは大人に特有のものであり、大人、子どもとも、自由に感じることを尊重すべきです。「おおきな木」が語りかける意味は人によってさまざまであり、そこに本作の真価があります。訳者の村上氏もあとがきで次のように述べています。「シルヴァスタインは決して子供に向けてわかりやすい『お話』を書いているわけではありません。物語は単純だし、やさしい言葉しか使われていませんが、その内容は誰にでも簡単にのみ込めるというものではありません。(中略)あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です」と。

おおきな木さて、この辺で「おおきな木」の、表現としての外見的特徴について触れておきたいと思います。まず絵ですが、黒いペンだけを使って木と少年を描き、それ以外のものはほとんど描き込まずに広い余白を残すという非常にシンプルなもので、若いころから漫画を描いていたシルヴァスタインが最も得意とする描き方です。モノクロームの線画は、日頃カラフルな絵本を見慣れた目には一見もの足りなく感じられるかも知れませんが、装飾的な要素をすっかり取り除くことで、そのシンプルさによって読者に新鮮さやインパクトを与えていると思います。なお、表紙だけは緑と赤で彩色され、クリスマス・カラーを想起させるといった別種の効果をもたらしているようです。

文章もまたシンプルな絵に見合うよう、やさしくわかりやすい言葉づかいで書かれています。この物語の構成としては、すでに見てきたように、木と少年の生涯にわたる長い交流が淡々と描かれているわけですが、そこに作者は、あるいくつかのフレーズを効果的に繰り返し挿入するという手法によって、作品全体にパワフルなリズム感をつくり出し、読み手の目、耳、こころに強い印象を刻み込むことに成功しています。たとえば、次のようフレーズが何度も繰り返されることに、読み手はすぐに気づくでしょう。さすがに、グラミー賞をとる作詞家だけのことはあるようです。

“Come, Boy” (いらっしゃい、ぼうや)
“And the tree was happy.” (それで木はうれしかった/しあわせだった)

「おおきな木」の贈りもの―シェル・シルヴァスタイン (名作を生んだ作家の伝記)「おおきな木」については関連本もいくつか出版されています。そのうちの代表的な二冊をご紹介しておきましょう。一冊目は作者シルヴァスタインの伝記です。「『おおきな木』の贈りもの (Shel Silverstein)」 ― マイケル・グレイ・ボーガン(Michael Gray Baughan)著、水谷阿紀子訳(文渓堂; 2009年刊)という本です。マルチな才能を発揮したシルヴァスタインの人生と創作にまつわるエピソードが興味深く語られています。これをガイドとして「おおきな木」以外の著作やアルバムなど、かれの多彩な作品世界に触れてみるのも面白いでしょう。

もう一冊は、発達心理学の専門家、守屋慶子氏による「子どもとファンタジー 絵本による子どもの『自己』の発見」(新曜社; 1994年刊)という労作です。守屋氏は、ほかでもないこの「おおきな木」を、日本、韓国、イギリス、スウェーデンの7歳から17歳までの子どもたちに読ませ、その感想文を分析することによって、かれらの自己発見過程を捉えていきます。どちらかといえば学術研究的な内容であり専門家向けですが、素材がすでに多くの人に親しまれた一冊の絵本であることから、一般読者にも比較的読みやすいと思います。子どもとファンタジー―絵本による子どもの「自己」の発見 (子どものこころ)

守屋氏は、子どもたちの年齢や国、その他の要素によって「おおきな木」がさまざまに異なった読まれ方をしているという実例や傾向、その理由などをすらすら明かしていきます。まさに「目からウロコ」といった感じです。上のほうでも述べましたが、子どもたちの視点で謙虚に世界を見直してみれば、大人の固定観念などいとも容易に崩れてまう可能性があることを、本書の解説を通してきっと実感されるでしょう。

ここからは、ボーガン氏と守屋氏の両著書を参考にしながら、「おおきな木」が実際にどのように読まれてきたか・読まれているか、その多様な解釈の可能性について、もうすこし詳しく見ていきたいと思います。

「おおきな木」の見事な曖昧さ その3へつづく。