「おおきな木」の見事な曖昧さ その5

前回は、シルヴァスタインの絵本の名作「おおきな木」の4回目として、この木を「母親」でなく「友人」、「自然」や「神」と見立てる読み方をご紹介しました。その記事はこちらです。

おおきな木ここまで「おおきな木」のもつ曖昧さという特徴について、また、そこから生じる多様な読み方や解釈について、一方の主人公”与える側”である擬人化された「木」にフォーカスして述べてきました。今回は、片手落ちとならないように、もう一方の主人公”与えられる側”の「少年」に視線を向けた子らの感想を、守屋氏の研究からご紹介しておきたいと思います。併せて、作者シェル・シルヴァスタインに興味を持たれた方のために「おおきな木」以外の代表作をざっとご紹介します。

さて、今回に限って結論めいたことを先に述べてしまいます。この”与えられる側”の少年に目を向けるなら誰でも、多かれ少なかれ少年を批判したくなり、次に自分にも少年と似た面があると否応なく内省するものの、結局のところ、似ているのは自分だけではないと正当化するでしょう。こうした心の動きの一部を切り取るか、どこかに重点をおくことで、さまざまな感想が生まれることになります。この少年は典型的な子どもなのか、だめな人間なのか、それとも人間全体がこうだと言いたいのか? これらのすべてが当てはまると言って間違いではないでしょう。子どもたちの感想がよく表しています。

「少年は自分勝手でわがままでなんという人間だ」(日本、小6)
「この物語から、私自身の胸にチクリと針を刺されたような感じを受ける。自分が困っているときだけ、ただ助けてもらうために人を頼る・・・何か自分でほんとうに情けなくなる。日頃の生活でもやはり経験することだ」(日本、高3)
「この物語を聞いて私と他の人々、家族や友人との関係について考えきせられた。そしていくらか後ろめたきを感じる。」(英国、16歳)
「あの少年はふつうの生き方だと思った。私も今お金が欲しい。・・・自分もあの少年のように、思いやり、木に対する心が無くなってしまうのだろうか」(日本、中2)
「なんだか自分たちの世界のことをみているようです。今の人間は自分中心の考えでいるし、他の人のことはどうでもいいと思っています。」(日本、中2)

守屋氏は子どもたちの感想から、「おおきな木」という一冊の絵本が「子どもたちの感情を大きくゆさぶり、認識活動や想像活動を刺激したことが読みとれる。(中略)そして思わぬ『自己』との出会い、感想にはその変化の様子が驚くほど鮮やかに、そしてダイナミックに描きだされている」と指摘し、発達心理学の専門家として、子どもたちが自己を認識し、さらに「人間の一人としての自己」を認識する過程をわかりやすくスケッチしています。くわしい中身については、ぜひ守屋氏の著作でご確認下さい。子どもとファンタジー―絵本による子どもの「自己」の発見 (子どものこころ)

シルヴァスタインの「おおきな木」は、その見事な曖昧さゆえにさまざまな読み方ができます。そのことによって大人・子どもを問わず、読み手に対してリトマス試験紙のような役割を果たす”恐るべき絵本”であることに感銘を受け、長々とご紹介してきました。ここまで読み通していただき、感謝申し上げます。最後に、シルヴァスタインのそのほかの主な作品をご紹介します。

新装 ぼくを探しに「ぼくを探しに(The Missing Piece)」 – 倉橋由美子訳(講談社; 1977年刊)は、外見的には童話、絵本、マンガ・・のどれかのジャンルと見えますが、書店では大人向けの文芸作品コーナーに置かれるべき作品でしょう。絵は「おおきな木」よりさらにシンプル、と言うより無造作に描かれています。大人の固定観念で説明すれば、フリーハンドの一本の横線で世界を描き、そこをパックマンのような球体の宇宙生物、あるいは丸い石ころ(rolling stone)のような、精神年齢は少年から青年期を感じさせる主人公がころがっていき、いろいろな経験をするという話です。大人はこのすばらしく未完成な作品を、自分の好みの読み方で完成することができます(そこにタイトルの真意があると思います)。70年代中頃の時代背景を映すとともに、一つの普遍性を表わそうと試みて成功した作品です。

続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い(The Missing Piece Meets the Big O)」 – 倉橋由美子訳(講談社; 1982年刊)は上記の続編です。せっかく抒情的な美しいラストで終わったので、つづきはないだろうと思った読者も多かったはずなのですが(筆者もそうでした)、いつまでも旅を終わらせたくないと思う大人がいることも事実で、そういう方々向けの続編です。シルヴァスタインのサービス精神が発揮されたと思えば良いでしょう。

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冒頭でもすこし触れた「歩道の終るところ (Where the Sidewalk Ends)」 は、たくさんの楽しい挿絵が入った全125篇の詩集です(講談社; 1977年刊)。シルヴァスタインの創作の力量がいかんなく発揮された作品であり、できれば英語の原詩とともに、倉橋由美子氏の美しい訳を堪能していただくのがベストの楽しみ方と思います。なお、タイトルは収録された詩の一篇からとられていますが、その詩題はもともと1950年の同名映画(オットー・プレミンジャー監督によるフィルム・ノワールの傑作と言われる作品)から得られたと筆者は想像しています。また、すでにご紹介したように、1984年にはシルヴァスタイン自身が本詩集のCDアルバムを発表し、グラミー賞(ベスト・チルドレン・アルバム)を獲得しました。

Inside Folk SongUnicornシルヴァスタインは、詩や絵本で成功する以前のことですが、1959年にシンガーソングライターとしてデビューし、1962年には「Inside Folk Songs」というアルバムを発表しています。その中に、子どもたちにも理解しやすい「ユニコーン(一角獣;The Unicorn)」という曲を弾き語りの自演で収録しています。この曲はのちにカナダのグループ、アイリッシュ・ローバーズ(The Irish Rovers)が同名アルバムに収めてヒットさせました。

シルヴァスタインは音楽分野において、自演ではほとんど評価されませんでしたが、のちにロック、カントリーの作詞を中心に多くのヒット曲を生み出し、殿堂入りを果たしています。シルヴァスタインが歌を提供したミュージシャンとしては、冒頭で紹介したジョニー・キャッシュのほか、70年代に活躍したロック・グループ Dr. Hook(”The Cover of ‘Rolling Stone'”, “Sylvia’s Mother”など)、カントリーのTompall Glaser(”Put Another Log on the Fire”など)やBobby Bare(”The Winner”, “Tequila Sheila”など)がいます。ここでは数多くの楽曲からとくに、複数の女性シンガーがカバーした「銀貨の女王 (Queen of the Silver Dollar)」という曲を付け加えておきます。歌い手は伸びやかな声質のエミルー・ハリス(Emmylou Harris)、収録アルバムは1975年の”Pieces of the Sky”です。

Greatest HooksWanted! the Outlaws

 

 

16 Biggest HitsPieces of the Sky

 

 

 

 

 

この記事シリーズは、ここで終わります。

 

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代前半。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。

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