「おおきな木」の見事な曖昧さ その2

前回より、シェル・シルヴァスタインの絵本の名作「おおきな木」(あすなろ書房)をご紹介しています。前回の記事はこちらです。

「おおきな木」の作者シルヴァスタインはニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューのインタビューに対し「これはただ与える者ともらう者という二人の関係である」と述べているそうです。かれの態度には納得がいきます。幅広い解釈のどれかに肩入れすることで、わざわざ読者各層の豊かな想像を壊すようなまねは不必要ですから。かれは子どもたちに(また大人に対しても)現実の世の中にある厳しい部分をとりつくろったり、一方的に道徳的価値観を押し付けたりすることは避け、あるがままの世界について語ろうと努めたのでしょう。

こうしたシルヴァスタインの創作姿勢によって、「おおきな木」という曖昧な物語が生まれました。かれは、現実にはたいてい幸せや悲しみが入り混じっていること、まるっきりいい人や悪い人などと決めつけてはいけないこと、また、世界はこの物語のように曖昧にできていることを、子どもたちにじっくり考えさせようとしています。おかげで子どもたちは、物語をこころの道具として使うことを通して、ゆとりを持って自分自身の考えを練り上げることができるようになり、また、大人も自分の固定観念から引き戻され、子どもたちの視点でもういちど世界を見直すことになるのです。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)「100万回生きたねこ」の記事の中でも書かせていただきましたが、絵本からメッセージや教訓を読みとるくせは大人に特有のものであり、大人、子どもとも、自由に感じることを尊重すべきです。「おおきな木」が語りかける意味は人によってさまざまであり、そこに本作の真価があります。訳者の村上氏もあとがきで次のように述べています。「シルヴァスタインは決して子供に向けてわかりやすい『お話』を書いているわけではありません。物語は単純だし、やさしい言葉しか使われていませんが、その内容は誰にでも簡単にのみ込めるというものではありません。(中略)あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です」と。

おおきな木さて、この辺で「おおきな木」の、表現としての外見的特徴について触れておきたいと思います。まず絵ですが、黒いペンだけを使って木と少年を描き、それ以外のものはほとんど描き込まずに広い余白を残すという非常にシンプルなもので、若いころから漫画を描いていたシルヴァスタインが最も得意とする描き方です。モノクロームの線画は、日頃カラフルな絵本を見慣れた目には一見もの足りなく感じられるかも知れませんが、装飾的な要素をすっかり取り除くことで、そのシンプルさによって読者に新鮮さやインパクトを与えていると思います。なお、表紙だけは緑と赤で彩色され、クリスマス・カラーを想起させるといった別種の効果をもたらしているようです。

文章もまたシンプルな絵に見合うよう、やさしくわかりやすい言葉づかいで書かれています。この物語の構成としては、すでに見てきたように、木と少年の生涯にわたる長い交流が淡々と描かれているわけですが、そこに作者は、あるいくつかのフレーズを効果的に繰り返し挿入するという手法によって、作品全体にパワフルなリズム感をつくり出し、読み手の目、耳、こころに強い印象を刻み込むことに成功しています。たとえば、次のようフレーズが何度も繰り返されることに、読み手はすぐに気づくでしょう。さすがに、グラミー賞をとる作詞家だけのことはあるようです。

“Come, Boy” (いらっしゃい、ぼうや)
“And the tree was happy.” (それで木はうれしかった/しあわせだった)

「おおきな木」の贈りもの―シェル・シルヴァスタイン (名作を生んだ作家の伝記)「おおきな木」については関連本もいくつか出版されています。そのうちの代表的な二冊をご紹介しておきましょう。一冊目は作者シルヴァスタインの伝記です。「『おおきな木』の贈りもの (Shel Silverstein)」 ― マイケル・グレイ・ボーガン(Michael Gray Baughan)著、水谷阿紀子訳(文渓堂; 2009年刊)という本です。マルチな才能を発揮したシルヴァスタインの人生と創作にまつわるエピソードが興味深く語られています。これをガイドとして「おおきな木」以外の著作やアルバムなど、かれの多彩な作品世界に触れてみるのも面白いでしょう。

もう一冊は、発達心理学の専門家、守屋慶子氏による「子どもとファンタジー 絵本による子どもの『自己』の発見」(新曜社; 1994年刊)という労作です。守屋氏は、ほかでもないこの「おおきな木」を、日本、韓国、イギリス、スウェーデンの7歳から17歳までの子どもたちに読ませ、その感想文を分析することによって、かれらの自己発見過程を捉えていきます。どちらかといえば学術研究的な内容であり専門家向けですが、素材がすでに多くの人に親しまれた一冊の絵本であることから、一般読者にも比較的読みやすいと思います。子どもとファンタジー―絵本による子どもの「自己」の発見 (子どものこころ)

守屋氏は、子どもたちの年齢や国、その他の要素によって「おおきな木」がさまざまに異なった読まれ方をしているという実例や傾向、その理由などをすらすら明かしていきます。まさに「目からウロコ」といった感じです。上のほうでも述べましたが、子どもたちの視点で謙虚に世界を見直してみれば、大人の固定観念などいとも容易に崩れてまう可能性があることを、本書の解説を通してきっと実感されるでしょう。

ここからは、ボーガン氏と守屋氏の両著書を参考にしながら、「おおきな木」が実際にどのように読まれてきたか・読まれているか、その多様な解釈の可能性について、もうすこし詳しく見ていきたいと思います。

「おおきな木」の見事な曖昧さ その3へつづく。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。