白川静の世界

漢字研究で有名な白川静氏が亡くなって10年となります。氏は若いころに独学し、中学校教諭を経て31歳のときに立命館大学の漢文学科に入学してのち、2006年に96歳で長逝するまで、生涯を学問一筋に捧げた大学者です。2004年には、多年にわたる中国古代文化研究で卓越した業績をあげ、また漢字研究を通じて中国文化、東アジア研究の発展に功績があったとして文化勲章を受賞しました。

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具体的には、中国最古の漢字辞書として知られる「説文解字」を解釈し直したことや、「字統」・「字訓」・「字通」の字書三部作をはじめとする膨大な研究成果で知られています。またとくに、氏がこれらの金字塔をほぼ独力で完成したこと、漢字学・文字学にとどまらず、その奥の民俗・神話・文学を包括した「白川学」という独自の学問を築き上げたことが、氏の著作に触れたことのあるすべての人から(と筆者は信じますが)高く評価されています。いや評価などというのはおこがましい限りで、畏敬されていると言ったほうが正しいでしょう。

白川静読本筆者のごとき素人は氏の学問の大きさに圧倒されて当然ですが、日本を代表するような多くの著名人も「白川静はこんなにすごい」ということをあちこちで語っています。たとえば2010年には、氏の逝去を悼む意味も込めて47人が一文を寄せた「白川静読本」という本が、平凡社において編まれています。ただそちらを先にしては順序が逆になってしまいますので、当記事の目的である「白川学」の入門書として何を読めばよいか、そのテーマに戻らせていただきたいと思います。

白川氏は還暦を過ぎるころに、初めて一般向けの本を書きました。氏がかりに20代半ばで本格的な研究に入ったと想定すると、96歳で現役として亡くなるまで70年に及ぶ研究者人生を送ったことになり、還暦はちょうどその折り返しの辺りとなります。昔ならば還暦は一つの終着点であり、いまの高齢化社会でもリタイアが近いと感じる年齢です。白川氏はそこまで来て、初めて社会に向き合う本を上梓しました。この一事をもって、氏の超人的なエネルギーを説明するのに十分と感じます。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)なによりも白川氏が一般向けに本を出されたことによって、日本国民の「知のレベル」が一段階上がったのではないかと、筆者は本気でそのように考えています。日本国民にとって、まことに有難いことだったと。前置きが随分と長くなってしまいましたが、その本とは1970年の「漢字 ― 生い立ちとその背景」(岩波新書)です。筆者は当時高校生で、漫画や受験参考書に明け暮れていましたので、実際にこれを読むのは刊行から数年以上もたった後のことです。

ただ、何とか一回目の読了を果たしたものの、社会人となった筆者にも「かなり難しいけれど面白い」と負け惜しみを言うのが精一杯でした。「白川学」の成果や価値については、ほとんど何も理解できていなかったと思います。その後しばらくして、別の本か何か忘れましたが、白川氏が1955年に「サイ」を発見した逸話を再び目にする機会があり、あらためて「漢字」(岩波新書)を読み直したわけです。さて、氏の学問に触れる人はたいていこの話題から入るのですが、その「サイ」とはいったい何のことでしょうか。

サイ
サイ

漢代以来、「口」は顔の口(くち)を示すと考えられてきましたが、白川氏はその後に発掘された甲骨文・金文を徹底的に調べ、「口」は神に捧げる祝詞(のりと:人が神に願い事をするために書いた文)を収める器である、との結論に至ります。この「口=サイ」の発見により、それまで口(くち)と解釈したのでは意味が通らなかった漢字の成り立ちについて、納得のいく説明ができるようになりました。口部を有する漢字の統一的な字義解釈が初めて行えたわけです。(なお、サイの発音にも理由がありますが省きます)

たとえば、「告げる」ときの「告」という字について、後漢の「説文解字」では「牛」が人に口(くち)をすり寄せ何かを告げている形と解釈しましたが、牛がそのようなことを本当にするでしょうか。白川氏によれば、「告」の上部の象形を「牛の角」ではなく「木の小枝」と見、下部は口(くち)ではなく「サイ」であり、したがって、木の小枝に「サイ」をつけて神前に掲げ、神に告げ祈ることだと分かります。

史頌鼎に刻まれた金文
史頌鼎に刻まれた金文

また、たとえば「名前」の「名」について、「説文解字」では「夕」は暗い夜のことであり、相手の顔が見えないから口(くち)で自分から名乗ると解釈しましたが、白川氏は、「夕」は肉の省略形、「口」はサイであり、子どもが生まれて一定期間すぎると、神に祭肉を供え、祝詞をあげて子どもの成長を告げる儀式を行い、そのとき子どもに名をつけると説明します。どちらにより説得力があるかは明らかではないでしょうか。

これらを発見するには、甲骨文・金文の文字の形を調べるだけでは十分でなく、中国の古代文学や神話を解読し、民俗・習俗についての知見を深めることが必要だったでしょう。白川氏は、気の遠くなるような地道な作業を続け、殷周時代の漢字の成り立ちを分析していきました。氏はそうした漢字研究を通じて、漢字の中には神というか鬼、あるいは霊というか、そういうものへの深い恐れの精神が宿っているとの確信に至ります。言い換えれば、氏は漢字が生まれた古代中国が宗教的、呪術的な社会であったことを浮き上がらせ、その時代の精神を明らかにしたのです。

立命館大学勤務時代に同僚だった梅原猛氏は、白川氏について次のように評しています。「白川氏はほとんどすべての漢字を神の世界との関係で解釈するのである。このような漢字の大胆にして、しかも首尾一貫した論理性をもつ解釈をした学者は、世界にも白川氏を除いては存在しないであろう。私はそれをニーチェの業績に比したいと思う。(中略)ニーチェによってギリシャ世界の解釈は一変したわけであるが、白川氏は中国世界の解釈を一変させたのである」と。(前出の「白川静読本」より)

白川氏は「漢字」(岩波新書)の冒頭で、「ヨハネによる福音書」のあまりにも有名な一節を引用したうえで、もしそれにつづけて書くならば、と自らの一文を記してみせます。これまさに、氏の面目躍如といったところではないでしょうか。

「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」(同福音書)「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」(白川静)

天空の舟―小説・伊尹伝〈上〉 (文春文庫)天空の舟―小説・伊尹伝〈下〉 (文春文庫)さて、白川氏が「サイ」を世の中にデビューさせた「漢字」(岩波新書)は、筆者の場合にはなかなか理解力が追いつきませんでしたが、そのころ作家として修行中の身であった宮城谷昌光氏には良い道標となったようです。宮城谷氏は白川学の成果に刺激を受け、1990年に「天空の舟」で商(殷)王朝創始の立役者である伊尹(いいん)を、また翌年には「王家の風日」で商(殷)の滅亡を描き、その後つぎつぎと古代中国を舞台にした小説をものしていきます。

王家の風日 (文春文庫)作品群の中で宮城谷氏は、白川氏の読み解いた漢字と神の世界、そこに暮らす人々を卓抜な想像力で活写します。また、白川氏の説く「サイ」論にある通り、古代人が多くの時間とエネルギーを「邪気」を祓う呪術のために消費していた実際の場面を描いています。とくに戦いの場面の、言葉と文字を用いた呪術による攻防は、映画を見るような臨場感で迫ってきます。筆者は、宮城谷氏の物語の力を借り、白川氏が明らかにしたリアルな古代中国世界をはじめて実感することができました。

白川静の世界 その2  へつづく。

白川静の世界 その2

前回は、白川静氏の初の一般書である「漢字」(岩波新書)のエッセンスに触れ、宮城谷昌光氏による関連作品などをご紹介しました。その記事はこちらです。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)「漢字」(岩波新書)の表紙裏には、「古代中国における人々の生活や文化を背景に、甲骨文・金文および漢字が形づくられるまでの過程をたずね、文字としての漢字がどのようにして生まれ、本来どのような意味を持つものであったかを述べる」と趣旨があります。本書はたしかに漢字がテーマですが、実際に読み始めると、タイトルや紹介文から連想した身近な漢字そのものの話というよりも、古代中国の姿に迫るほうに重心があるため、多くの方は多少の戸惑いを感じるかも知れません。筆者もそうでした。

白川氏の出身地 福井市 足羽川桜並木
白川氏の出身地 福井市
足羽川桜並木

白川氏は若い頃から「詩経」をよみ「万葉集」をよんでいました。そこから氏の学問は「東洋的なものの源流を求める」ことが目的となり、中国古代文学の研究を始めます。そして、その研究上、文章の単位である漢字を研究することに自然と進み、その成果として漢字の原義を体系的に明らかにされたわけです。つまり、白川氏の学問体系全体(=白川学)から見れば漢字学・文字学はその一部に過ぎないということから、構想に数年をかけ一般書としての平易な表現を求められた本書でしたが、結果的に、そもそも難解である「白川学」が滲み出てしまったといえるでしょう。

しかし、1970年に発刊されたころの読者は、幸いそのあたりを好意的に受け止めたようであり、読みにくさから売れ行きを心配した編集者を安堵させたとのことです。「漢字」(岩波新書)は図らずも、そのように難解でありながら面白く、かつ深甚という「白川学」の不思議な魅力を持つことになりました。入門書というには少々ハードルの高い本ですが、ぜひトライして下さい。読み進むうちに引き込まれ、大まかなところを感得しながら、やがて氏の研究への共感やこのうえない読後の達成感を得ることは間違いありません。(次回はもう一点の入門書「漢字百話」も紹介します。)

常用字解 第二版色々な漢字がどんな意味や意義をもっているのか、といったより具体的な方面に興味をお持ちであれば、本書と併せて、中・高校生向けながら大人も活用できる基本字典、「常用字解」を座右におすすめしたいと思います。さらに本格的な関心をお持ちの場合は、「字統」・「字訓」・「字通」の字書三部作を、まずは図書館などで手にとって確かめ、それから生涯の友とされるかどうかをじっくり検討されてはいかがでしょう。

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ノーベル賞選考委員に理解してもらうことは困難ですが、白川氏の学問が世界最高水準にあることは疑いありません。ただ、国内においても残念ながら、そうした評価が確立するのは氏が最晩年に至ってからのことでした。「漢字」(岩波新書)発刊に際してはこんなこともありました。当時東大教授だった藤堂明保氏が、岩波から依頼されたこの本の書評(雑誌「文学」)において、白川氏の漢字解釈を全否定したうえ、「文字学をああいう人に書かせるべきではない」という趣旨で出版社や編集者をも批判したのです。

文字逍遥 (平凡社ライブラリー)後日、白川氏はこれに毅然と反論しましたが、藤堂氏はその反論を無視し、論争(と見えるもの)は世人に注目されながら、噛み合わないままに終了したというものです。問題となった藤堂氏の書評についての白川氏による所見は、「文字逍遥」(1987年・平凡社/1994年・平凡社ライブラリー)という論考集のなかに、「文字学の方法」として収録されています。

もとより、白川氏の研究内容はきわめて強靭であり、これくらいで潰れるようなものではありません。では何が悲しいかといえば、藤堂氏ほどの揺るぎない業績を誇る学者が、白川氏の独自研究によっておそらく自らが脅かされるように内心で狼狽し、一時とはいえ礼儀も何も見失ってしまったことです。また、周囲がこのできごとを見て「主流と反主流」、「多数派と少数派」、「正統と異端」の争いなどと分かったように囃し立てたことでした。学術論争ならばあって然るべき、むしろ活発に行われてほしいものですが、もう少し知恵のある進め方をしてほしかったと思える逸話です。

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)後年、梅原猛氏は白川氏との特別対談において、「前は先生を偉いが異端の学者だと思ってました(中略)しかしだんだん、先生が一つの大きな学問を開かれているんだという、そういうことを実感し始めたのです」と正直に語っています(「別冊太陽 白川静の世界」より; 2001年・平凡社)。白川学が長い間、実際に異端視されていた事情がよくわかります。また、白川氏自身も「私の履歴書」において、「私はいつも逆風の中にあり、逆風の中で、羽ばたき続けてきたようである」と述懐しています。アカデミズムは度しがたい、という典型例かも知れません。

回思九十年 (平凡社ライブラリー)白川氏の「私の履歴書」は、魅力的な対談集と合わせた「回思九十年」(2000年・平凡社)に所収されています。また、この本の呉智英氏によるインタビューのなかに、逆風に関連してもう一つ、白川氏の味わい深い言葉がありますのでご紹介します。呉氏が「(学会において)孤高の位置にいらっしゃったと思いますが、それはなぜでしょうか」とたずね、白川氏は次のようにこたえます。「詩においては『孤絶』を尊び、学問においては『孤詣独往』を尊ぶのです。孤絶、独往を少数派などというのは、文学も学術をもまったく解しない人の言うことです。(中略)学問の道は、あくまでも『孤詣独往』、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います」

余談ですが、最近出される新書の大半は、雑誌のように寿命の短いものとなっています。一時的に消費されるか、あるいは賞味期限切れになればさっさと別のものに入れ替える、といった単なる情報媒体の位置づけのようです。出版者が自ら新書を、そうした商業的価値を偏重した「商品」や、流行を追うだけの「便乗商品」に貶めることが時代の常識のようになっています。これでは質が落ちるばかりであって、自分の首をしめるようなものといささか残念に思います。

ここで紹介した「漢字」(岩波新書)は46年前に生まれた書物ですが、まだこれから数十年・数百年と読み継がれ、生き残ってていくでしょう。本書の価値は、たとえばこの1年に発行されたすべての新書を合わせた価値以上であると断言したいような気分です。実際にそのような比較を行なうことは不可能ですが、案外ご賛同下さる方も多いのではないでしょうか。

「私の漢字研究は、古代文化探求の一方法として試みてきたものであり、無文字時代の文化の集積体として、漢字の意味体系を考えるということであった」 白川氏は本書のあとがきで、あらためて発刊の趣旨や経緯をこう述べたうえで、いちばん最後に「国字問題としての漢字、また漢字教育の問題にも関連の多いことであるが、それらのことについては、別の機会をもちたいと思う」 とご自分に対して宿題を設けます。

漢字百話 (中公新書 (500))白川氏はそれから7年後の1978年、67歳のときに「漢字百話」(中公新書)というかたちで、その宿題を完成し、読者への約束を誠実に果たしました。同書の表紙裏に、氏の現状認識が要約されています。

「3000年を超えるその歴史において、漢字が現代ほど痛ましい運命に直面している時代はないであろう。中国が字形を正す正字の学を捨て、わが国で訓よみを多く制限するのは、彼我の伝統に反する。また、両国の文字改革にみる漢字の意味体系の否定は、その字形学的知識の欠如に基づく」 というものです(下線は引用者)。次回、この核心部分について、もう少しくわしく見ていこうと思います。

白川静の世界 その3へつづく。

白川静の世界 その3

前回は、白川静氏の初の一般書である「漢字」(岩波新書)のつづきをご紹介しながら、「文字逍遥」、「別冊太陽 白川静の世界」などの関連著作に触れました。その記事はこちらです。

漢字百話 (中公新書 (500))今回は白川学の2番目の入門書、「漢字百話」(1978年・中公新書)をご紹介します。1番目の「漢字」(1970年・岩波新書)は初学者には少々とりつきにくさがありましたが、こちらはその点を踏まえた工夫も施されており、好みによってはこちらから読むという選択肢もあるでしょう。また、タイトルや体裁は100篇のアンソロジーのような感じで、どこからでも読めるといえば読めるのですが、基本的には一篇ごとに論旨が進みますので、とくに初めての人は通し読みが良いでしょう。

わたしたち日本人はふだん何気なく漢字を使用していますが、白川氏は「3000年を超えるその歴史において、漢字が現代ほど痛ましい運命に直面している時代はないであろう」と、ひとり危機感を抱きつづけてきました。そう聞くと、今ほんとうにどうなっているのか心配になります。漢字は「表意文字」であると筆者らは教わり、白川氏も著作中においてそのようにおっしゃっていますが、ウィキペディアなどを見ると、現在の文字体系分類上では、聞き慣れない「表語文字」となっています。

小臣艅犀尊銘文
小臣艅犀尊銘文

こうした分類自体が、おそらく西洋における19世紀以降の言語研究の流れをくむものであり、漢字文化圏における漢字研究の成果をすべて包含したものではないと想像できます。白川氏が「文字としての漢字は、通時的表記として古今にわたる大量の文献をもち、独自のすぐれた条件をそなえている」にもかかわらず、「漢字は久しく文字論からも外され、敬遠あるいは無視されていたように思う」と述べている通りでしょう。

漢字は、世界で使われている文字の中で最古のものです。また文字数では10万字以上と、他を圧倒する文字体系であると同時に「文化の体系」であることは明白です。古代中国から周辺の諸国家・地域に向かって、言語というよりむしろ文化上のインパクトを波及しながら、「漢字文化圏」を形成しました。ところが、20世紀に入るとベトナム、モンゴル、北朝鮮は漢字を廃止し、韓国も事実上使わなくなり、現在使用するのは、中国、台湾、日本、その他シンガポールの一部などとなっています。

白川氏は中国について、「『カナ』も『かな』もなく、年齢や知能に応じた段階的学習の方法がない。おかあさんは『媽媽』であり、(中略)中国における簡体字への要求は、切実を極めている」として、日本と事情の異なる点に一定の理解を示しつつも、革命以来、漢字に字形的意味を認めないとの基本方針を今もつらぬき、大胆な文字の簡体化を推進していることについて遠まわしに危惧を表明します。

鐃(殷時代)
鐃(殷時代)

このままでは「常用の漢字をすべて簡体化しても、カナのような表音文字にはならない。形と意味とを失った無器用な符号が、累積するだけで」あり、「やがては常用文字のほとんどが、文字の本来の形義を失った、単なる記号と化するであろう」と。またその先において、もしベトナムのように全面放棄するならば「ベトナムとちがって、他に例をみない多くの文化遺産を擁する中国としては、漢字の放棄は文化遺産そのものを廃絶することを意味していよう」として、中国ひいてはわが国の漢字世界が滅亡しかねないことを警告します。

翻って日本の現状はどうか。「漢字の伝統は、わが国においてはその訓義を通じて、漢字を国語化するという国語史の問題として存した」のですが、その過程で、伝統の否定に連なる「字の訓義的使用を多く廃する」ことを行ない、中国と同じように漢字の意味体系性を否定して「多くの新字を作り、どの部分をどう改めたのか容易に判別しがたい整形美容的変改を行なった」と指摘します。さらに、かかる意味体系性の否定について「いや、事実はその否定というよりも、むしろ漢字の字形学的知識の不足が、これをもたらした」とします。

confucius_tang_dynasty少し難しいかも知れませんが、白川氏はこのような危機意識から、本書の大部分を使って、漢字本来の造字法やその構造原理をていねいに解説しつつ、漢字の基本的な諸問題を考察しています。氏はこれからの方向性として、「字の構造的な意味が理解されれば、そこから簡体字・新字を作るとしても、おのずからその方法があるであろうし、また学習も容易となる。ともかくも、正しい字形の解釈学があってのことである。孔子のいう、『先づ名を正さんか』である」と訴えます。氏が読者に広く共感を求めているのは、まさしくこの点でありましょう。

また、白川氏は、「文字の使用に、つねに語源的・字源的知識を必要とするわけではないが、ことばやその表記が何の意味体系をももたぬということはなく、それがなくては、文字は全くの符号となる」として、字は訓よみによって意味が把握され言葉となることを、次のように、残念な例を用いてとても分かりやすく示しています。

「音訓表においては、『おもう』『うたう』『かなしい』などの動詞・形容詞は、思・歌・悲のそれぞれ一字だけに限定されているが、国語のもつニュアンスはもっと多様である。字音としては懐・念・想・憶などの字もあるが、そのように『おもう』ことはできず、また唱・謡の字もあげられているが、音訓表では『唱う』ことも『謡う』こともできないのである。」

meiji-no-bungoなるほど、これは確かに愚かな事態です。ご承知のとおり、日本人は日本の「国字」としての漢字や、「かな」(カタカナ、ひらがな)を発明し、また熟語を造るなどして、これまで長い年月をかけて日本語を育ててきました。その結果、日本語は中国語以上に便利かつ豊かな言葉となり、世界に類を見ない日本文化の発展をもたらしたと思っていましたが、白川氏の指摘を受けるまで、漢字の核心である意味体系性についてずいぶん見落していたのです。

目の前に本書を置き、あらためて漢字や日本語の成り立ちを考えてみますと、日本人は漢字が本来持つ可能性を活かし、日本語の完成度を高めてきたことは事実であり、そうしたことをやり遂げてきた先人の知恵や感性に感動を覚えつつも、近代以降は、一方でせっかく育ててきた日本語を壊すようなまねもしていたわけです。かの文化大革命や原理主義者による遺跡破壊まで連想するのは心配のし過ぎかも知れませんが、大いに怪しみ、危ぶむべしということではないでしょうか。

もし白川氏による純粋で真摯な学問からの提唱がなければ、日本人はこの先、そのような気づきに至ることなく自暴自棄を犯すことになっていたかも知れない。そう考えると、氏にはいっそう感謝してもしきれぬ思い(想い?念い?)です。

白川静の世界 その4へつづく。

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白川静の世界 その4

前回は、白川静氏の学問を知るための2番目の入門書、「漢字百話」(1978年・中公新書)をご紹介しました。その記事はこちらです。

さて、ここまで白川氏による一般向け新書2冊と関連著作をいくつかとりあげてきましたが、氏の字解における代表的な文字例については、はじめの方で「口=サイ」の関連について記したのみであったと気がつきました。今回はその意味から「道」という字を選んで、氏がどのように読み解いたかをご紹介したいと思います。白川氏の著作に触れた人ならば、どなたも「道」という文字を、氏の学問の代名詞のように印象深く記憶していることは間違いありません。

china-01前出の「文字逍遥」(平凡社ライブラリー)のなかに「道字論」という濃密な一篇があります。同書は有名な「遊字論」も収録しており、白川学に触れたい方には先の新書2冊に次いで好適な著作といえますが、今はとりあえず「道」のテーマに集中したいと思います。古代世界において「峠路や海上でなくても、道はおそるべきもの」であり、「外部の世界に連なる、最も危険な場所」でしたが、白川氏は「道字論」において次のように表現しています。

文字逍遥 (平凡社ライブラリー)「道が外への接触を求める人間の志向によって開かれるものとすれば、それは他から与えられるものではない。その閉ざされた世界から脱出するために、みずからうち開くべきものである。道をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な外界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである」

常用字解 第二版そのことが「道」の古い字形から考察されます。「常用字解」によれば「道」という字は、首(くび)と歩く・行くの意味がある辵(ちゃく =辶・辶;しんにょう)を組み合わせた形です。金文には、さらに又(ゆう;手の形。おなじく「寸」も手の意味)を加えた字形があり、その首と辵と寸を組み合わせた字は「導」(みちびく)となり、首を手に持って行くという意味になります。「古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道(みち)」としたのです。

china-04導(みちびく)とは、古代中国における戦争のための先導、行軍を意味しています。「道字論」では次のように表現しています。敵地(異族の支配領域)へ赴く軍にとって、「識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。道とは、その俘馘(ふかく)の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である」と。

ふたたび「常用字解」で「道」のつづきを読むと、「把手のついている大きな針(余)を呪具として使い、この針を土中に刺して地下にひそむ悪霊を祓い清めることを除といい、そのようにして祓い清められた道を途という。のちには道理(物事の当然のすじみち)のように用い、わが国では芸ごとの専門分野のた意味に用いて、筆道・茶道のようにいう」と解いています。「道字論」では、それらの事情を詳らかに論じていますので、ぜひ参照いただければと思います。

漢字百話 (中公新書 (500))漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)また、道々の要所には「道祖神を祭り、道路の分れめには岐(ふなど)の神、また境界にあたるところには塞(さえ)の神をおいた。その神は男女二神の石神(しゃくじん)の形をとることもあり、精霊送りや虫送りなどを行なう」と、「漢字百話」(中公新書)にあります。道路とは多くの呪術が行われた場所のようです。古代の人々は、異族による呪詛がそこにあれば必ずわざわいを受けると信じ、それを防ぐために種々の呪禁を加えました。とりわけ「道」の字形が示す通り、「異族の首を境界のところに埋めておくことも、呪禁として有効であった。ことにその族長の首ならば、最も効果がある」と「漢字」(岩波新書)にあります。

王家の風日 (文春文庫)このように「道」という文字の意味は、一度知れば忘れることができないでしょう。さらに言うと、異族の首を呪具として用いるため、首狩りの俗が行なわれました。「漢字」に次のような例があります。「卜辞によると、殷人は羌(きょう)族を祭祀の犠牲に用いることが甚だ多く、五十羌、百羌、ときには三百羌を牲殺していることがある。このような大量の人牲は、たぶんこの断首葬に用いられたのであろう。犠牲の法として『伐羌』とかかれていることが多いが、伐は人を戈(か、ほこ)にかけて、その首を截る(きる)形の字である」。ここで羌とは羌族のことです。

前出の宮城谷昌光氏の小説「王家の風日」では、羊とともに生活する羌の小部族に、商(殷)の受王(のちに紂王と呼ばれる人物)の率いる軍隊が嵐のように襲いかかる場面が描かれています。受王には、崩御した帝乙(いつ)の斂葬(れんそう)のために、多くの犠牲を集めて地中に没する役目がありました。小説ではこのとき、商軍の襲来から辛くも逃れた少年・羌望(きょうぼう)が、のちに太公望呂尚として周に加わり商王朝を滅ぼすことになるのです。

白川静の世界 その5へつづく。

白川静の世界 その5

前回はとくに、字解の一例として「道」という字を選び、白川静氏がどのように読み解いたかをご紹介しました。その記事はこちらです。

background-03ここまで一般読者の立場から、白川氏の著作や学問の一端をご紹介してきましたが、無謀な試みもそろそろ限界のようです。今回は少し違った角度から「白川静の世界」へのアプローチを助けてくれそうな関連書物をいくつかとりあげ、記事シリーズの締めくくりにしたいと思います。どこかですでに一度触れた本も含みますが、あらためてご紹介させていただきます。

回思九十年 (平凡社ライブラリー)一冊めは、白川氏が卒寿を迎えた記念として2000年に出版された「回思九十年」(平凡社)です。この中には、故郷・福井の遠い日々に始まり「白川学」として学問を究めるまでの人生を氏が自ら振り返る「私の履歴書」と、その中身をいっそう浮き彫りにする各界著名人との対談・インタビューが所収されています。氏と直接言葉を交わしているのは、呉智英、酒見賢一、白井晟一、今井凌雪、北川栄一、宮城谷昌光、谷川健一、山中智恵子、水原紫苑、江藤淳、粟津潔、石牟礼道子、吉田加南子の各氏です。

「本格的に文字学を始められるきっかけは何だったのでしょう」(呉)
「文字はどうやって誕生してきたのですか」(酒見)
「漢字研究のあとの大きなテーマはなんですか」(同)
「歴史的に大きな文字の改革がおこなわれたのはどのようなときですか」(白井)
「先生は漢字をどういうふうに記憶しているのですか」(水原)
「先生は、東洋という言葉を大事に考えておられますね」(吉田)

予備知識をそなえた13人の聞き手はそれぞれが対話の名手と見えて、だれもが聞いてみたいような質問を次々と繰り出し、その一つ一つに淀みなく丁寧に応える白川氏の誠実さに感動します。氏自身は日ごろ「書くのはいいが、話すことは不得意」と謙遜されることが多かったようですが、この対談集では聞き手の興味関心を満たすだけでなく、おそらく一般読者のことも考え、具体例を挙げたり話題をどんどん膨らませてみたり、ともかく至れり尽くせりの連続です。このような魅力的なやりとりが、この本全体の8割を占めています。第3の入門書、あるいは副読本として最適ではないかと思います。

白川静読本二冊目は、「白川静読本」(2010年・平凡社)です。五木寛之・松岡正剛両氏による巻頭対談にはじまり、47名の著名人が白川氏の人物、学問の広がり、著作をどう読むかなどについて敬意を込めた一文を寄せています。内田樹氏が「白川静先生は、私がその名を呼ぶときに、『先生』という敬称を略することのできない数少ない同時代人の一人である」と書いていますが、『先生』と呼ばずにいられない気持ちや、1910年(明治43年)生まれの超大先輩である白川氏が「同時代人の一人」であることがことのほか嬉しいという気持ちは、まことにその通りだと思います。

白川氏より一歳下の日野原重明氏は別格としても、ここに名前を連ねる著者はみな、氏から見ればずいぶん若輩となります。「白川静先生にお目にかかることができたのは、生涯の幸せである」(水原紫苑氏)というように、氏が世のなかに知られ始めるのと平行して自分も一読者、生徒あるいはファンとなり、同時代人であることに喜びさえ感じるといった気分を、著者らは行間を含む随所からにじませています。そのような気分は、わたしたち一般読者にもかなり共通するものではないでしょうか。

これほど広く親しまれ、尊敬を集めた学者や研究者がいったい他にいただろうかと驚くばかりですが、残念なことに、アカデミズムからの称賛はごく限られているように見えます。一方に熱烈な信奉者を存在せしめる「白川学」ですが、他方では正反対に、自分たちの評価が下がることを恐れてこれを無視し続ける人々もいまだに多い、という状況が想像されます。すなわち「小人の過つ(あやまつ)や必ず文る(かざる)」といったところでしょうか。

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)さて、三冊めは、セイゴウこと松岡正剛氏による「白川静 漢字の世界観」(平凡社新書)です。松岡氏は、2008年2月にNHKの「知るを楽しむ 〈私のこだわり人物伝〉 白川静 ― 漢字に遊んだ巨人」という番組で4回にわたって語り手を務め、そのときのテキストをもとに本書をまとめました。じつは本書を除くと、白川氏の人物・学問の全体像について本人以外が紹介する本は、評伝であれ研究書であれ世の中にまだないようです。その意味で本書は、勇気をふるって刊行された唯一の「白川静論」ということになります。

松岡氏は番組出演と本書の刊行という機会を活かして「白川静」ないし「白川学」を世に知らしめる水先案内の役割を十分に果たし、いまも果たしていると思います。ただ紹介するだけにしても、誰もが容易にできる仕事ではありません。松岡氏の場合、そういう難しい役割を引き受けるにあたって何が氏を支えたのでしょう。それは、一つには氏の「白川静」を尊敬する純粋な気持ち、もう一つは「白川学」を畏怖しつつも理解したいと欲する心=「博覧強記たる氏の本分」ではなかったかと想像します。

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)四冊目は「白川静の世界 ― 漢字のものがたり」 (別冊太陽)です。この本はムックですから当然ですが、写真や挿絵によるビジュアルを重視しています。白川氏は無限の忍耐力で、甲骨文や金文の文字を一つ一つ解読することによって、古代中国の民俗・文化に深く分け入っていき、ついに当時の人々の精神世界にまで到達しました。その偉業は氏の膨大な著作で証明されていますが、わたしたちの平凡な頭脳ではそれらすべてを繰り返し読んだとして、氏のレベルの十分の一ほどを手に入れることができれば大いに幸運と言わねばなりません。

そこで、一般読者がさらに「白川学」や「白川静の世界」にアプローチするにはどうすれば良いかですが、うえでご紹介したような、氏の肉声を疑似聴覚で感じることのできる対談・インタビューに加えて、ムック本の大判ビジュアルから直接視覚で感じとる情報がその手助けになるのではないかと思います。具体的には、殷代の青銅器、甲骨文・金文そのものの写真や、氏がそこからトレースした文字を手描きで羅列した「白川静ノート」のサンプル、また少しおまけ的ですが、氏が殷代に似るとする日本古代を偲ばせる祭祀のルポルタージュ等々が掲載されています。

DVD 白川静 文字講話 全24巻この意味から注目されるのは、白川氏が88歳から94歳までに行なった連続講演を収録した「文字講話」DVD全12巻(2008年・方丈堂出版)です。筆者もこれまで視聴する機会はありませんでしたが、在りし日に氏が熱心に講義する姿を映すたいへん貴重な記録といえますので、いつかぜひ拝見したいと考えています。一方、いつかは「字書三部作」を座右に置いて活用する筆者自身という「愚か者の夢」も抱いております。DVDか字書、そのどちらを早く実現できるか(あるいはできないか)を考えるだけで非常にわくわくします。

少々名残り惜しいような気もしますが、「白川静の世界」その一端をご紹介する記事シリーズは、ここでひとまず区切りにしたいと思います。