「100万回生きたねこ」

tiger-cat-02今回は「絵本でしか表現できない」ことを見事に表現している、佐野洋子作「100万回生きたねこ」をご紹介します。1977年の刊行以来、200万部以上も販売されているベスト&ロングセラーです。ご存知の方も多いはずですが、子どもも大人も読んでいる、というか、子どもよりも大人からたくさんの支持を得ている特別な絵本として、敢えてとりあげることにしました。あとで、本書の何が特別かを考えるために、まず絵本の一般論から始めたいと思います。

筆者は絵本に詳しくありませんが、子どもを「本好き」にすればその子の人生をより豊かにでき、絵本との出会いがその第一歩ということはわかります。「子どもをどう育てたらいいのか」といった若い親の悩みを耳にすると、「絵本はどう使っているのかな」と気になったりします。絵本の中には、作者の表現した絵とことばがありますが、その絵本を母親(や父親)は子どもに読んであげることができます。そのとき、子どもは絵本の世界を母親の声やことばとして聴きます。ここが重要であると思います。

もし読み手の母親が感動していれば、聞き手である子どもの気持ちにかならず強い影響を与えるでしょう。大人と子どもでは当然、人間のできあがりに違いはありますが、親子で心を通わせつつ、絵本の世界を共に旅したという楽しい体験はお互いの心、とくに子どもの心に深く刻まれるに違いありません。それがたとえ一日10分の旅であっても、親子の間に、成長しても通い合う「絆」のようなものが、少しずつ形成されていくのではないでしょうか。

専門家の受け売りですが、絵本をコミュニケーション・ツールと考え過ぎず、まず第一に楽しく読んであげることが大切のようです。一緒に楽しみ、読み終えたときの満足感を大切にすること、もし子どもの方から質問されたり、語りかけてきたときは喜んで話し合うとして、大人の方から過剰に問いかけたリ、一方的にわからせようとしたりしないこと、そういった心掛けが必要です。絵本からメッセージや教訓を読みとるくせは大人に特有のものであり、大人、子どもとも、自由に感じることを尊重すべきです。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

さて、前置きはここまでとし、「100万回生きたねこ」の話に戻りたいと思います。本書については、実は、上で述べたような自然体の読み聴かせをすんなりとできるかどうか、そこが少々心配になります。その理由は、本書が(大人に対して)発している電磁波のようなパワーです。そのパワーによって、大人は一読で自分の価値観を揺さぶられ、無視したり曖昧に反応することが許されないような気分になります。そこから先々において、読み手は、子どもに読み聴かせながら、本書の中身について自分なりの解釈を強いられるでしょう。

そのねこが、100万回死に、100万回生き返ったことについて。
そのねこが、飼い主のことを大嫌いだったことについて。
そのねこが、死んだとき、飼い主たちが泣き悲しんだことについて。
そのねこが、自分を大好きなことについて。
そのねこが、死ぬのなんかへいきだということについて。
そのねこが、100万回の死生のあとしろねこに惹かれたことについて。
そのねこが、しろねこと家族をつくって幸せになったことについて。
そのねこが、しろねこの死を悲しみ、100万回泣いたことについて。
そのねこが、二度と生き返らなかったことについて ・・・・・など。

解釈の一例は、たとえばこのようなものです。「それまで自分だけを愛し、孤独な心に自分を閉じ込め、傲慢に死んだり生き返ったりしていたねこが、自由なのらねことなったときに、恋をして家族を持ち、まだそうとは知らなかったのだが、やがて、かけがえのない他者を失ってはじめて、愛を知り、生きる意味を知り、悲しみを知ることになり、そして最後に救われる ・・・」 以上は一つの解釈に過ぎません。あるいは、「ねこは、輪廻転生を繰り返しながら魂の修行をしていた。100万回泣いたことを最後の修行として、ついに悟りを得た(=輪廻から解脱した)」 といった解釈も、一つの解釈として成り立つでしょう。

tiger-cat-05大人は、本書のあらすじの全体や各部分について、いろいろと考えさせられたり、作者の意図やメッセージは何かと詮索せざるを得ないことになってしまうようです。本書のパワーがそうさせることは確かです。ただ思うに、読み手である皆さんにはもともと、ひとりひとり異なった価値観や死生観があり、本書を読んで思索を巡らすうちに、ひとによってはそうした自分自身の価値観や死生観にあらためて気づくということもあるのではないでしょうか。本書の意外な効用ではないかと思います。

あるいは、そうと気づかぬまま、読み手自身の価値観が反映した解釈を、作者の意図や物語の本質であると勘違いしたり、思い込んだりすることもありそうです。それでも、間違いとは言えません。もとより、読み手の解釈は自由であり、どんな解釈が正しいのかといった問題ではないからです。ただ、子ども、とくに幼い子どもには、大人のいかなる価値観や死生観にもとづく解釈や解説も必要ではなく、押し付けは有害でさえあるでしょう。大人の読み手は、成長期の子どもに、広々と自由に感じてもらうことを保障することが必要です。

tiger-cat-03「100万回生きたねこ」はそのような意味で、大人にとっては面白いのですが、このストーリーの微妙な部分に関して、たとえば「生と死」について、子どもと対話が必要になったときには、大人も少なからず真剣さを求められると思います。この絵本をもう一度まじめに読んでみることをきっかけとして、少しおおげさに言えば、ご自分の性格や生活信条、価値観などの棚卸しを行なっておき、お子さんやお孫さんとの対話に備えるのはいいことだと思います。また、筆者くらいの年になれば、言うまでもないことですが、死をまっすぐ見つめることで、生を最後までどう大切に生き抜くかということを、日々問い直すことが必要です。

作者の佐野洋子氏は2010年11月、ご本人の晩年を記録した「ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ」の製作中に他界されました。佐野氏はその映画に声で出演し、「人間は、なんのために生きているかって言ったら、やはり他人を愛するために生きているし、たぶん、この世界を愛するために生きているんだと思うのね」 と、本書の秘密の一端を明かしています。