「働き方改革」とはなにか その7

前回は、八代尚宏著「日本的雇用慣行を打ち破れ」をご紹介する最終回でした。その記事はこちらです。「働き方改革」の本丸、「同一労働同一賃金」をとりあげ、実現のために企業の現場で必要となる施策についても述べさせていただきました。

people-10すでに見てきたように、濱口氏のいう「日本型雇用システム」、ないし八代氏のいう「日本的雇用慣行」からの脱却とは、日本企業が「職務(job)」定義のない「メンバーシップ型」雇用から、「職務(job)」定義の明確な「ジョブ型」を基本とする雇用へ転換していくことを意味します。「同一労働同一賃金」を実現するには、ほかに方法が見あたらないのです。濱口桂一郎氏の著書、「若者と労働 ― 『入社』の仕組みから解きほぐす」は、若者の労働問題をテーマにしながら、日本の雇用を「ジョブ型」に向かわせる処方箋を提示しています。

「ジョブ型」社員は、欧米諸国で多くの実例にある通り、客観性のある職務基準書(job description)で内容の定められた仕事に携わります。報酬の基準も「職務給」として、職務(job)と一体的に明確化されています。現在でも、たとえば看護師や介護士、一部のIT技術者などは「ジョブ型」です。非正規労働者の大半は、基準が中途半端な「ジョブ型」と見なされます。「ジョブ型」社員の雇用契約では一般的に、職務自体のほか勤務地も限定されます。

したがって、もし事業縮小などで働く場所がなくなった場合は、雇用契約終了となります。ただし、その人の職務(job)や職務給は客観性が保たれていますので、地元でその職務の需要がある限り、転職は困難ではないとする考え方です。本書では、現在の常用型の非正規労働者のほか、(ある職務を持ち)育児や介護その他の理由で勤務地や労働時間を限定したい人、あるいは一般職等と呼ばれている人々はただちに「ジョブ型」社員に移行しやすいと想定します。

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)「メンバーシップ型」社員は、採用時点から明確な職務の定めがなく、多様な仕事(職種・職務)に携わり、報酬は「職能給」または「職務給+α(メンバーシップ対価部分)」を基本に、ボーナスなどの「成果給」を受け取ります。現在の大企業と少なくとも一部の中小企業における正社員の大半が該当します。「メンバーシップ型」社員の雇用契約では、職務だけでなく、働く時間も勤務地も限定されません。濱口氏は、現在の「メンバーシップ型」の中からも、「ジョブ型」への移行を希望する層が少なくないと想定しています。

濱口氏は、日本型雇用システムの転換あるいは再構築にあたり、欧米での反省を活かしたソフト・ランディングを目指します。ジョブ型雇用が主流の社会では、いったん不況に陥ったとき、職業的な教育を十分に受けていない若者は労働市場で競争力を失い、大量の就職前失業者となってしまいます。そこで、そのための処方箋として、ドイツに似た日本版デュアル・システム(学術的教育と職業教育を同時に進めるシステム)の構築を主張しています。

筆者からあえて一つだけ、「ジョブ型」労働者としてのリスク認識と備えについて、述べておきたいと思います。どんな職務(job)でも、スキル向上によって初心者段階から、中・上級を経て指導者段階に至るキャリア・パスがあるのですが、時代の変化によって、その職務自体の需要が低下するリスクが存在すること、そのため1つだけの職務で長い人生を全うできるとは限らないこと、したがって、その備えとして、2つ以上の職務を複線型で身に付けることを考えておくべきと思います。

people-26さて、現在の日本社会でも実は、「ジョブ型」の雇用契約は規制対象でも何でもなく、企業がその気になれば推進可能です。それでは、なぜ産業界や労働界は「メンバーシップ型」を温存し、「ジョブ型」への移行を考えてこなかったのでしょうか。これからは、どうするのでしょうか。その問題にまた帰らざるを得ないようです。

少しおおげさのようですが、日本人にとって「メンバーシップ」の本質は何かと考えてみますと、明治維新のころ、「藩」という会社のメンバーだった武士に刀と特権身分を捨てて平民になれと強制したことがありました。いま大企業の正社員にメンバーをやめて「ジョブ型」社員になれというのは、経済的・心情的に似たような面があると思います。また、正社員という既得権者のボリュームを考慮すると、日本型雇用システムの転換は、もしかすると明治維新の武士階級廃止に匹敵する大事業なのかも知れません。

「だから、産業界や労働界にも同情の余地がある」と言いたいわけではありません。かれらにいつまでも尻込みされていては「同一労働同一賃金」が実現せず、待遇格差が解決せず、雇用の流動化も進みません。国民が困ります。そこで、産業界・労働界のリスクや心配について、もういちど考えてみます。

まず、前回詳しく見たように、転換の実行過程において膨大な作業が必要となります。これは大仕事であることは確かですが、やってやれないことはないでしょう。次に、その大仕事のプロセスが、旗振り役の政府、メディアや教育界などを通じて少しづつ国民の目に見えてくることを期待します。一方では、先行的に移行を開始する一流企業が出てこなければなりません。そのような状況が国民的な理解を促し、若者をはじめとする労働者の意識改革につながっていくことを期待します。

ただ途中段階では、日本型雇用システムの転換について反対する意見や、「よく理解できない」とする割合がなかなか減らないことも懸念されます。職を失う確率が高いといった不安から「ジョブ型」を敬遠したり、終身雇用や年功序列を日本的伝統であると評価したり、従来型の正規社員(=「メンバーシップ型」社員)になりたいとする志向が後退せず、また移行期にメンバーシップから離脱する社員を誤解・中傷する言説などもあり得るからです。

しかし、頑張って進めていけば、基本的には時間経過にともない、賃金上昇や雇用流動化の効果が表れてきますので、それにつれて全体的な「ジョブ型」への転換が進むと考えてよいでしょう。「ジョブ型」への移行が遅い職種や業界の周辺では転職市場が発達せず、雇用の流動化が進まないため、しだいに異職種・異業種間の競争において不利になっていくということも考えられます。

people-14ただし、欧米諸国のような「ジョブ型」社会への完全移行は、日本では考えにくいことも確かです。各企業には経営上の独自判断と選択の自由があります。「ジョブ型」と「メンバーシップ型」双方のメリット・デメリットが検証しつくされた後も「ジョブ型」に転換せず、「メンバーシップ型」が自社に必須な仕組みであるとして継続を選択する企業はきっとあるでしょう。「同一労働同一賃金」ルールの下で、「メンバーシップ型」を継続し、費用対効果や業績への効果を証明できるならば何の問題もないからです。

むしろ、「メンバーシップ型」による家族的経営を標榜する非上場企業や、中小企業の一部などでは、有効な経営手法として存続する可能性もあります。また、非常に多様な職種・職務が求められる企業においては、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」を効率よく混在させることも考えられます。そのような意味や形でもって、日本では「メンバーシップ型」の良い点が残っていくのではないかと、筆者は予想しています。ただし、あくまで「同一労働同一賃金」を達成している前提です。

ここ数年「賃上げ」では政府主導がことのほか成果をあげてきましたが、「同一労働同一賃金」は一筋縄で何とかなる課題ではないと思われますので、政府には企業や組合に対して理詰めの粘り強い説得を進めていただくようお願いしたいところです。結局はそれが近道でありましょう。今後、労働者の公平性においても、成長戦略の面においても、改革を先送りし続けるべきではないとの共通認識を育て、「ジョブ型」への転換を促進するアクションプランの着実な履行を求めていきたいと思います。

「働き方改革」とはなにか、と題する記事はここでいったん区切りとします。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。