「分断社会を終わらせる」には その6

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)から、「教育の充実」の重要性などについて紹介しました(この本の4回目)。その記事はこちらです。

井手氏らは、社会全体が貧しくなろうとも、みんなが人間らしく生活ができるように、教育や医療、育児・保育、養老・介護などの分野において、誰にとっても必要なものを保障する仕組みをつくり、「だれもが受益者かつ負担者」になる生活保障を制度化すべきと主張します。この部分だけをとると、世界のどの社会民主主義政党が掲げる政策とも、基本的に変わらないように聞こえますが、どこか違うのでしょうか。

Photo by World Economic Forum, Davos 2008 / CC BY SA2.0
Photo by World Economic Forum, Davos 2008 / CC BY SA2.0

筆者の見立てでは、井手氏らの主張は、かつてイギリス労働党のブレア政権(1997-2007年)が提唱した「第3の道(Third Way)」を想起させます。第3の道とは一般に、従来の2つの対立する思想や諸政策の「いいとこどり」をして、対立を超えようとする考え方です。ブレア政権は、伝統的な社会民主主義による結果の平等ではなく、教育の充実などの機会の平等を重視するとともに、サッチャー流の新自由主義的な路線を部分的に組み入れました。これらは欧州諸国の中道左派政権に影響を与え、米国でレーガノミクス後に採られたクリントン政権の路線とも共通点があります。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)ただ、ブレア政権は確かに福祉・教育予算を拡充ましたが、十分に成功したとは評価されていません。格差の是正についても思い描いたような成果を得られず、また、保守党路線を継承した部分で支持母体である労組の離反を招き、最後にはイラク戦争での米国追随が命取りになったことは周知のとおりです。また、北欧など高負担・高福祉の確立した国々は別として、1990年代に誕生した中道左派政権においても概して、その思想・政策が定着するには至りませんでした。

このようにして、2000年代に入ると「第3の道」ないし中道左派は後退し、レーガン、サッチャー以来の新自由主義的な思想・政策がふたたび世界的に抬頭することになり、日本ではご承知のとおり、3次にわたる小泉政権となります。そして、世界金融危機以降の世界的な経済不況、グローバリゼーションによる格差拡大等の問題が深刻化し、当記事のシリーズでとりあげているところの、わが国における現時点の問題、「分断社会」へとつながってくるわけです。

さて、今年の米国大統領選では、民主党のバーニー・サンダース候補が過激とも思える社会主義的政策を提唱し、途中まで驚くべき支持を獲得するありさまを目の当たりにしました。いま「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しく」という状況を世界にもたらした元凶は新自由主義だとの批判があります。そうした不公平の主たる原因が、新自由主義の欠陥によるものかどうかは筆者の理解を超えていますが、世界的に吹き始めた新自由主義への逆風は、社会民主主義的な考え方への追い風を意味します。

people-41ここで、問い掛けのつづきに戻ります。井手氏らの考えが時代の追い風を受けているとしても、かつての「第3の道」のように失敗する可能性はないのでしょうか。また、日本において、時の政府が井手氏らと共にこれを進める場合、「第3の道」とどこが違ってくるのでしょうか。それらの問いに対して、筆者にもはっきり言えることが一つあります。日本は、過去に「第3の道」がたどった歴史的経験を検証し、良かった点やまずかった点などを踏まえ、日本に適用するための修正や取捨選択が可能です。その点が明らかにブレア政権よりは有利といえるでしょう。

ただ、日本には、国民福祉に対するビジョン(専門的には福祉国家論、あるいは福祉レジーム論と呼ばれる概念)について、固有の条件や課題があります。たとえば、日本人は伝統的に「勤労」という精神や社会的価値観を大事にしてきました。また、従来の日本型福祉といわれるものは、「自助・共助・公助の役割分担」といった曖昧なことばで説明されてきました。これらについては本題と少し離れますので、いまは詳述を避けますが、日本型福祉は学術的には、北欧型の「社会民主主義的福祉」と明らかに異なるものであり、米英の「自由主義的福祉」と大陸欧州の「保守主義的福祉」とをミックスした発展途上モデルと言われています。

いずれにせよ、井手氏らは「第3の道」を上手に経由しながら、従来の日本型福祉から最も遠いところにある北欧型の「社会民主主義的福祉」にできるだけ近づきたい、そのようなビジョンを目指していると言えましょう。前々回くらいに、井手氏らの思想・政策が、近代以来の「この国のかたち」を変えていくことを意味すると言ったのは、まさにこのことです。ただし、ここに述べていることは筆者の勝手な見立てであって、井手氏自身が国民の向かうべき到達点(ゴール)として、まだそれほど明確に表現しているわけではありません。

landscape-distant-alpes井手氏らの視点はあくまで足下の、深刻な状態に陥っているいまの分断社会・日本にあるのですが、ちょっと頭を上げて遠くを眺めてみると、はるか先にアルプス山脈のような北欧型の福祉ビジョンが輝いて見える。筆者はそのようなイメージだと思っています。そして日本国民は、北欧型福祉を知識として持っていても、かつて一度も自国のビジョン候補として、また遠景としてさえ、眺めた(認識した)ことがなかった。それゆえに、井手氏らがそれをいま、見せてくれようとしていると思うのです。できるだけ多くの人に、まずはこの景色を共有してもらうことが大切だと思います。

つぎは、当記事シリーズの最後となりそうですが、井手氏らが提唱する政策について今後の進め方などを少し考えてみます。また、国民の気にするモラルハザード的な懸念ほかについて触れます。

「分断社会を終わらせる」には その7 につづく。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。