「分断社会を終わらせる」には その3

前回は、井手英策教授の、古市将人・宮﨑雅人両氏との共著で、「分断社会を終わらせる ― 『だれもが受益者』という財政戦略」(筑摩選書)の前半について触れました。その記事はこちらです。

さて、井手氏らは、「このまま社会保障費が膨らめば財政は破綻する」といった脅し文句に象徴されるような、危機をあおるやり方はもう終わりにすべきだと主張します。これはもちろん、財政再建を引っ込めろと言うのではなく、財政再建は当然必要だが、それだけが「錦の御旗」ではないだろうと、ほかにも重要なことがあるのでそれにも耳を傾けろと、そういう意味です。

people-56井手氏らは、「財政は本来、人を幸せにするためにある」という原点に立ち返って、国民にいま「何が必要なのか」を考えるところから始めてほしいと訴えます。社会全体が貧困化しようとも、せめて人間らしく生活ができるように、具体的には教育や医療、育児・保育、養老・介護などの分野において、誰にとっても必要なものを保障する仕組みをつくり、「だれもが受益者」になる生活保障を制度化すべきとしています。もちろん、財源論とセットで成立する話です(財源論については、のちほど触れます)。

この「必要原理」に応じた再分配は、「困っている人たちを助けよう」という、低所得層に対する救済措置と同じ意味ではありません。一部の方は意外に感じるかも知れませんが、対象には低所得層のみならず、富裕層も中間層も含まれます。「だれもが受益者」になる制度への改革は、そのように文字通りの意味を有しているのです。このことには、欧州諸国で蓄積された経験が参考としてあり、政治的にも十分な合理性があると井手氏は言います。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)前回、日本社会の分断の実態について触れましたが、ある特定の人々を制度的に救済しようとすると、それ以外の人たちが反発し、租税抵抗が生じてしまいます。つまり、制度のもう片方にセットした財源装置が働かずに失敗します。これに対して、「だれもが受益者」になる制度においては、結果として租税抵抗が緩和され、税収も安定しかつ増えていくと説明されています。

【図解】ピケティ入門 たった21枚の図で『21世紀の資本』は読める!たとえば、ピケティの提案では、富裕層や中間層の一部から搾り上げて再分配をはかろうとしますが、いかにも金持ちを敵に回す政策であることが非現実的と評価される一つの理由となっています。日本でも、野党の一部は極端な所得税の累進課税強化を訴えますが、そのことに多数派たる中間層がそっぽを向けていることは明らかです。中間層にそっぽを向かせないためには、税金を払うことで、かれら自身も恩恵を受けられるようにすることが、制度設計上、不可欠であると井手氏は考えます。

すこし繰り返しになりますが、全員のニーズを満たす「必要原理」に立って、所得制限を設けず、また世代間や地域間でも受益の面を調和させた政策パッケージをつくることが大切です。いろいろな状況にある人たちが、それぞれに尊厳を守られる政策になっていれば、敵対の構図をつくらずにすみ、分断を回避し、また溶解していくことができると、井手氏は主張します。

井手氏はまた、「必要原理」に立つ政策パッケージに加えたいメニュー例として、高齢者向け、現役世代向けの政策を両方ともやっていこうと提案します。たとえば、高齢者にとくに必要な医療・介護について、医療費の自己負担を少なくするための全国の公立病院の黒字化や、介護の自己負担を無償化に近づけることなどを挙げています。また、現役世代には教育や子育て、仕事関連を挙げ、まずは保育園や幼稚園の無償化、そして大学の授業料を無償化に大きく近づけることも目指すべきだ、としています。

background-06井手氏らの提案は、日本国憲法25条・26条をさらに拡充する内容とも言えそうです。すなわち、「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」 ことを今まで以上に実現し、「第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」 このことの拡充です。

確かにこれだけ実現できるとなれば、消費税の増税というかたちであれ、国民にとっても負担のしがいがあるということになるかも知れません。ただし、財源をどうするか、財政再建はほんとうに大丈夫なのか、ということについて、もう少しちゃんと見ておく必要があります。井手氏の考えを実現するには、野党内にファン・クラブをつくるだけでは足らず、与党はもとより、財務省の中にも共鳴する役人を増やしていくことが必要になるからです。そのためには井手氏自身も、「コップの中」の議論を越えた、政治の現場における論争に備えていかなければならないでしょう。

また、深刻な分断社会を治癒するためとはいえ、中・高負担+高福祉社会への転換を目指すとなれば、そのこと自体がいうまでもなく、近代以来の「この国のかたち」を変えていくことを意味します。国民の意識はおそらく、そのような将来方向の正しさを感じながらも、経済に一層ブレーキがかかるのではないかとか、高福祉化によるモラルハザードをどう考えるか、あるいは、勤労や自助などの伝統的価値観はどうなるのか、といった点を気にかけると思います。その辺りを、井手氏らはどう考えているのでしょうか。

「分断社会を終わらせる」には その4 につづく。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。