「分断社会を終わらせる」には

今回から、慶應大学経済学部の井手英策教授の著作を紹介していきます。当記事のタイトルに引用した「分断社会を終わらせる」は、氏の直近(2016年)の共著書からとらせていただきましたが、それ以前の著作から順に、何回かに分けてご紹介することになると思います。

2016年9月の民進党代表選では蓮舫氏が勝ち、敗れた前原誠司氏はすっかり影を潜めてしまいましたが、このとき前原氏が新たに始めたと思われる主張はとてもユニークなものでした。代表選自体が盛り上がりに欠けていましたので、敗色の濃い対立候補、前原氏の主張があまり話題にのぼらなかったのは無理もありませんが、それでも、もう少し気が付いて注目してくれるメディアや論評があっても良かったと残念に感じています。

前原氏の主張は、”All for All” = 「みんながみんなのために」という、ラグビーをもじったような、平凡なキャッチフレーズのために内容がぼけてしまったと思います。もう少し具体的な表現では、消費税なども含めて「みんなが負担し、みんなが受益者になる」というものでしたが、これも言葉としてのインパクトに乏しく注目を得ませんでした。実は、この短いフレーズにかなり革命的な考え方を含んでいたと思うのですが、その中身が国民に伝わることはありませんでした。

zaimu-syoこの、前原氏の主張内容のオーナーが、慶應大学の井手英策教授です。井手氏は財政社会学という聞きなれない分野の研究者ですが、最近、いくつかの著書やブログなどを通じて、ユニークかつ説得力のある主張を展開して賛同者を得つつあるように思います。筆者もファンとまでいうかどうかは別として、井手氏の主張にたいへん注目する一人です。その骨子はすでに2013年の著作、「日本財政 転換の指針」 (岩波新書)で広く明らかにされていました。

日本財政 転換の指針 (岩波新書)井手氏は財政社会学者として、今回前原氏がとりあげた、「負担と受益の望ましいあり方」についての基本政策をわかりやすく提言しています。その具体的中身については、当記事では氏の複数の著作を並列的に紹介しながら、少しづつ触れていくことにします。氏独自の思想・政策は全著作を通じてほぼ一貫しており、一冊づつ紹介するよりも、その主旋律と通奏低音を聞いていただくのが効率的と判断しました。もちろん、個々の著作は各々一読に値するものであり、力点の置き方や読者の想定が異なるだけですので、皆さんにはご自分向きと感じた雰囲気のものから手にとっていただきたい、と思います。

経済の時代の終焉 (シリーズ 現代経済の展望)井手氏は上記の新書につづき、2015年の初めに、同じく岩波書店の”シリーズ現代経済の展望”から、「経済の時代の終焉」を上梓しました。ちょうど、トマ・ピケティによる、「21世紀の資本(Le Capital au XXIe siècle)」 の邦訳が世に出たのと同じころです。いずれも、新自由主義的な経済の暴走を批判し、格差や分断に対する処方として再分配政策の改革を呼びかけるものでした。この二つの論説は、その挑戦的姿勢において共通していますが、具体的な処方箋は異なっています。

21世紀の資本ピケティは格差是正のために、累進性の強い富裕税の世界同時導入などを提案しましたが、ご承知のように、実現の可能性が低いといった指摘を受けました。一方の井手氏は、社会の分断を是正しつつ、一定の成長と財政再建のすべてを可能にする処方箋として、「みんなが受益者になり、(そのことが理解されて)みんなが負担する」財政の転換を主張します。財政を「特定の誰かの利益」に使わず、みんなが必要とする「人間の利益」に使うよう抜本的に転換し(その具体例はのちほど紹介します)、それを明示することで国民の租税(たとえば消費税とその増税)への抵抗を和らげ、国の租税調達力を強化しようという戦略です。

やや余談ですが、ここにはレトリックの問題もあるように思います。「負担と受益」をそのまま並べると、第1に、だれもが税金を自分と同じように正しく納め、第2に、政府は集めた税金を「みんなを受益者として」正しく使う、といった表現になります。負担への警戒感を先に生じさせると、第1の公平な担税については、だれもが税を忌避するのでいつまでも実現しないだろうという冷笑的な見方となり、そのため第2の再分配については、財政を顧みずに実行する「大きな政府」と、その行きつく先の財政破綻イメージに帰着しやすい気がします。バーニー・サンダースのような社会主義的な主張とあまり変わらない、という反応もありそうです。

people-52井手氏が、今後何も変わっていかないという国民の諦念を危惧しているのだとすると、筆者も大いに同感です。この国がどこでどう狂ってきたのか分からないまでも、いま眼の前に生じている貧困化や格差の拡大する社会、井手氏の表現による「分断社会」という現実は、すでに国民の大半が実感するところです。しかし、にも拘わらず、なぜわれわれは世直し的な方向に進めないのか。井手氏は、分断社会をもたらした新自由主義的な思想・政策を攻撃しますが、そのすべてをひっくり返すとは言わず、財政社会学者という比較的穏健な立場から、実行可能な日本財政の転換を主張しているわけです。

次回、もう少し具体的に見ていきたいと思います。
「分断社会を終わらせる」には その2 につづく。

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。